新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

まどのせさんにお薦めする本。

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ゲーム脳」というのは何だろうねという話だが、それは恐らく、

「ストーリーや設定、『想定された遊び方』にかかわらず、あらゆるミッションをアルゴリズムと反応速度の問題へ還元することで純粋に勝利だけを目的化する態度」

といったあたりで及第点だろう。

問題はもちろん、これを現実社会、日常生活のなかでやるひとがいることだ。

「問題は」と云ったが、実際には特に問題でないばかりか意外とうまくやれることも多いんですよね、という話をまどのせさんとしていた。

まどのせさんというのは、通勤にかかる時間が惜しいので会社から1分のところに住んでいるとか、ダイエットするのにザバスウェイトダウンとスティックシュガーで生活していたとか、要するに物理法則で説明できないことはすべてまやかしか気のせいだと本気で思っているひとだ。あまり風邪もひかないっぽい。

僕はどちらかというと正反対で、敗北にすら好みの味付けをして「今夜のお酒にあう…」などと抜かすタイプなので、そもそも勝利への欲望自体あまり強くないし、だから得意なゲームもない。敗北は数えてない。

そんなわけで僕はまどのせさんのことを少なからず尊敬しているのだが、このひとに「これでも読んどけという本をいくらか紹介してください」と云われたので、恥を忍んでピックアップした。

ちなみに僕はまどのせさんの読書性向については以下の事実しか知らない。

それではいってみたいと思う。

 

1. 「外交 上・下」(ヘンリー・キッシンジャー日本経済新聞社

外交〈上〉

外交〈上〉

 

パワー・ポリティクスの権威であり、ニクソン政権で大統領補佐官を務め、中国との国交正常化を主導したヘンリー・キッシンジャーによる外交の教科書だ。

「パワー・ポリティクス」とは、簡単に云えば「敵の敵は味方」という奴で、これを「当たり前だろう」と思うか、「何云ってるの?」と思うかで人間のタイプは大きく二つに分かれる。

つまり神も仏も、理想も理念もなく、ただ「俺の国が勝ち残ることだけが正義」と腹をくくったゲーム脳の君主や外交官たちが、その時々の利害得失だけで同盟関係を結んでは解消して繁栄を奪い合っているとみるのがパワー・ポリティクスのフレームワークなのだ。

だから「核兵器廃絶」とか、「シリアは(人道的に)超えちゃいけないライン考えろよ」とか、アメリカの勝利条件に関係ないことを云ってしまったオバマはフルチンのガキ扱いされてきたわけだ。

一方歴史的には、ルイ13世のフランスで宰相を務めたリシュリュー枢機卿が最初にゲーム脳に感染し、やがてイギリス人が大々的にもらうというのがキッシンジャーのストーリーだから、この二大国がいまだに「フレカス」「ブリカス」と云われるのに比べ、「スペカス」「ゲルカス」とかはあまり云わないのにはこのあたりに理由がある。

つまりフランス人やイギリス人にとり、自分たちが繁栄し続けることこそが絶対なのであって、少なくとも外交においては正義も人道も倫理も文字通り二の次なのだ。一方の我が国はといえば、「アジアの解放」などと理念を謳って大陸へ侵出した果てにぶっ潰されて、以来アメリカの占領下にある。勝利条件を正しく把握しないプレイヤーは勝てないということだ。

とまれ、このパワー・ポリティクスこそが国際政治の本質だというキッシンジャーが、リシュリューのフランスから現代にいたるまで、時と場所を変えながら、その姿を追いかけるのが「外交」上下2巻だ。それはまるで、「BLOOD+」の小夜がディーバ一族の巻き起こす悲劇を追いかけて300年の時をさまよう姿であり、各地で頻発するジェノサイドの陰にジョン・ポールの姿を求め、クラヴィス・シェパードが旅する「虐殺器官」の世界だ。

 

問題があるとすれば、「外交」は日本ではすでに絶版になっており、マケプで買わなければ手に入らないということと、上下巻ともに600ページを超える大作であり、重くて持ち運びには適さないことだ。寝転んで読むのにもあまり向かない。

あと、こちらにも書いたが僕も「外交」を全部は読んでいない。ただし引っ越すたびに持ち歩いているし、いまはボストンにもある。

それからキッシンジャーといえば昨年、日本では「外交」のアップデート版ともいうべき「国際秩序」が出版された。こちらは内容も「冷戦終結以降の世界におけるゲーム脳とこれから」といったものだからいくらか親しみやすいといえるし、何よりKindle版が存在する。こちらは僕も読み終えた。

どちらも決して読みやすい書物とは云えないが、よく知らない世界についてしっかり勉強してみたいという志をお持ちの方にはぜひともお薦めしたい。

何年かかってもいいんだ。何度もチャレンジしようじゃありませんか。

 

2. 「帝国の逆襲 金とドル 最期の闘い」(副島隆彦祥伝社 

1923年生まれのキッシンジャーはいまだに健在であり、2016年の米大統領選が佳境に差し掛かった5月にドナルド・トランプをニューヨークの自宅へ呼びつけてユダヤ・ロビーからの支持を授けたと副島隆彦が主張している。

中露に対し好戦的な姿勢を崩そうとしなかったヒラリー・クリントンネオコンの巨頭ともいうべき候補であり、当選の暁には必ず戦争を起こしたであろうという見方は一般のアメリカ人の間にも根強い。

これを懸念したデイヴィッド・ロックフェラーの命を受けたキッシンジャーがその日、何らかの確約・条件と引き換えに、トランプ候補に大統領の座を約束したというのが副島隆彦の読みであり、「ユダヤ・ロビーの大物の息子」だという娘婿・ジャレッド・クシュナーに伴われてキッシンジャーの自宅を辞するトランプの写真を掲載した「トランプ大統領とアメリカの真実」で彼は「ドナルド・トランプが大統領になる」と看破した。

とにかく「トンデモ本」を乱発するイメージの強い副島だが、佐藤優はどんな弱みを握られているのか「副島は米国のメディア・人脈から直接情報を引っ張ることのできる日本では数少ない評論家であり、インテリジェンス業界の人間」とかねてより高く評価しており、「トランプ勝利」を事前にはっきり予言したのは彼だけだろうと賞賛している。

ちなみに「トランプ大統領とアメリカの真実」が出版されたのは、実際にトランプがクリントンを破って大統領に当選する実に5ヶ月前のことであった。他方、私はといえばその2ヶ月前に「ヒラリー当選待ったなし」というブログを書いた結果、大恥をかいて謝りもせぬまま放置してある。

そこで何かと毀誉褒貶の激しい人物とはいえ、ここは副島隆彦の書籍を一冊紹介しておく。

副島隆彦は口述筆記でもしているのか、とにかく中盤以降で激してくると普通に言葉遣いがヒートアップしてくるところがいい。さらに最近では陰謀説・危機説を唱え続けて疲れがきたのか「私にだって生活者なりの苦労もあり、そろそろ厳しい」とか「誰も耳を傾けてくれないまま何十年経った」みたいなことを挟むようになってきて味わいが増した。ドナルド・トランプの当選を見事云い当てた前掲書も悪くないが、「帝国の逆襲 金とドル 最期の闘い」などが僕は気に入っている。

また、「見事云い当てた」とはいうものの、副島は昨年さらに「ヒラリーを逮捕、投獄せよ Lock Her Up !? ロック ハー アップ」という書籍を出版、「ヒラリーは投票日を待たずに逮捕、投獄され、獄中から大統領選を継続する」という予言を重ねて、ハズした。勝ちにこだわらない姿勢にも好感を抱いている。

キッシンジャーが仕えたリチャード・ニクソン大統領が金とドルの兌換停止を発表し、アメリカを中心とした世界がついに完全な管理通貨制度へ移行してから、まもなく半世紀が経とうとしている。

この間、「通貨の価値は何が決めるのか」という問いにまともに答えられた人間は存在しない。なぜならそれはなんとなく「ドルは大丈夫」だとみんなが思っている共同幻想に支えられたシステムに他ならないからだ。

だが膨張し続けるドル経済圏をアメリカ一国が支え続けることは困難だと考えられるようになってきており、「ドル基軸体制」が瓦解したとき(それはもしかしたら「ニクソン・ショック」のようにある日突然やってくるのかもしれない)、一時的にせよ世界が金本位制へ復帰する可能性があると考えるひとたちがいる。

こうした懸念をひとつの材料に、ドイツ連邦銀行がアメリカに預けている金(ゴールド)を返還するよう要請したが、なんとアメリカはこれに応じることができなかった。これは各国から預かって保管しているはずの金を、アメリカが秘密裏に売り払ってしまったからだと見る向きがあり、ドル不信が高まる。

ロシアや中国はすでに米ドルによる「外貨準備」の一部を「金準備」に切り替えるべく断続的に市場で金を買い集めていることが分かっている。

しかしそれにもかかわらず市場で金の価格が上昇していかないのはなぜか。

それこそは米ドルによる覇権を維持するため、ETF空売りを通じて金価格を抑え込むオペレーションをアメリカ政府が行っているからだと副島隆彦は主張する。これが「金とドル 最期の闘い」だというわけだ。

 

情緒的な予定調和に期待して腰を振る強く儚き者たちが物理法則によってあっけなく破壊されるのはまどのせさんお気に入りのコメディだが、だとすれば幻想の米ドル基軸体制が信用の失墜によって惑星ごと破壊され、基軸通貨なき世界へ帰する様こそはその壮大なバージョンだといえる。

海外の報道を引きながら同様の近未来史を描こうとするのは田中宇の「金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている」。ロシア・中国は米ドルに拠って立つ通貨体制に見切りをつけており、その切り崩しを図っているという見立て。海外版はジェームズ・リカーズの「ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!」(朝日新聞出版)。こちらは各国中央銀行が買い増している金の量を推計し、準備に対する比率を算出している。「あなたも自分の資産に対して同様の割合で金を保有しておけば、通貨制度の崩壊にあたり、国家と同じ生存戦略に相乗りできる」というわけだ。これをゲーム脳と云わずしてなんと云おうか。また、推奨ポートフォリオには同時に「美術品」も含まれている。

このあたりの作品は、過去に以下のエントリーでも紹介していた。


3. 「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上・下」(白石一文講談社

講談社の創立100周年記念事業として出版された読みやすい小説。

ゲーム脳に悩む(あるいは悩まない)経済学者の世界において、わけても症状が重篤だったミルトン・フリードマン。あまりに有名な「神の見えざる手」というアダム・スミスのアイデアを遙か彼方まで突き詰めた結果、「政府は明確な犯罪以外は何も規制するべきではない」という境地に達し、ロナルド・レーガン大統領が推進する新自由主義の理論的支柱を提供することになった真性のゲーム脳だ。

本作では、週刊誌の編集長を務める主人公が、幼くして逝った息子の幻影と、その死に背を向けてリベラリズムに逃げ込む妻、自らの癌と極めて生物的な性を見つめながら、各章に配された独白でミルトン・フリードマン、それから小泉純一郎の提唱する新自由主義を淡々と批判し続けるという一風変わった構成をもつ。

「淡々と」というのはつまり、「保守 vs リベラル」の論争にありがちな「ロジック vs 感情論」「利益 vs 価値観」ではなく、「強い者が自由を享受し、勝利へのモチベーションを維持することで弱者もまた最適に幸福を得る」という保守のロジックに対し、主人公もまた極めてロジカルに批判を展開することを意味する。

金持ちが貧乏人のために働かねばならない確かな理由がある。 マルキシズムの復活を防ぐためだ。  

ナカヤマのような男は、たとえば自分が秀才だという現実が、彼より勉強のできない多くの人間の力によって支えられていることが分かっていない。美人が自分だけの力で美しいと自惚れているようなものだ。美人が美人でいられるのは、彼女より醜い女性が大勢いるからにすぎない。 

内閣府が発行している『障害者白書』の平成一八年版によれば、「現在、日本全国の障害者数は、約六五五万九〇〇〇人」となっている。その内訳は、身体障害者が約三五一万六〇〇〇人、精神障害者が約二五八万四〇〇〇人、知的障害者が約四五万九〇〇〇人だ。

しかし、この知的障害者の総数は、非常に疑わしい。

人類における知的障害者出生率は、全体の二%から三%といわれている。だが、四五万九〇〇〇人だと、我が国総人口の〇・三六%にしかならない。欧米各国では、それぞれの国の知的障害者の数は、国民全体の二%から二・五%と報告されているのだ。「日本人には知的障害者が生まれにくい」という医学的データは、どこにもない。要するに、四五万九〇〇〇人というのは、障害者手帳所持者の数なのである。現在、なんとか福祉行政とつながっている人たちの数に過ぎない。本来なら知的障害者は、日本全国に二四〇万人から三六〇万人いてもおかしくないはずである。

結局、知的障害者のなかでも、その八割以上を占めるといわれる軽度の知的障害者には、前述したような理由から、福祉の支援がほとんど行き届いていない。したがって、障害が軽度の場合は、あえて障害者手帳を取得しないケースも多くなる。現状では、軽度知的障害者が手帳を所持していても、あまりプラスはなく、単なるレッテル貼りに終わってしまうからだ。

こうして、数多くの知的障害者が、生まれながらの障害を抱えていながらも、福祉と接点を持つことなく生きているのだ。もともと、社会や他人と折り合いをつけることが不得意な人たちだ。だんだんと社会の中での居場所を失い、それに貧困や虐待やネグレクトといった悪条件が重なれば、すぐに刑務所に入るようなことになってしまう。

このように主人公は、競争環境を守るための「自由」などはそもそもがまやかしであり、その結果として健全な競争社会が実現するなどは人間の本質を無視した机上の空論であるとフリードマンを追い詰めていく。

しかしこの小説をもっとも興味深いものにしているのは、こうした論を展開しながらも自身は壮絶な社内政治を生き抜き、政界を向こうに立ち回ろうという主人公が最終的にたどり着く境地だ。そこでは「自由競争と結果平等」「伝統と革新」といった、従来の保守とリベラルの対立軸がもはや社会に均衡をもたらさなくなっていることが明らかにされる。

この問題は、実は先の米大統領選でドナルド・トランプに勝利をもたらした一因であり、彼の勝利がきわめて予測しにくいものであった一因でもある。もはや(米国の)社会は従来のマトリクスでは充分に捉えきれなくなっているということを多くのインタビューから読み解く「アメリカ政治の壁――利益と理念の狭間で」(渡辺将人/岩波新書)を併せ読むと理解が深まる。

 

4. 「アンダーワールド」(ドン・デリーロ/新潮社)

アンダーワールド〈上〉

アンダーワールド〈上〉

 

いつものように世界に先駆けてぶっ壊れつつあるアメリカの戦後一大叙事詩ともいうべき小説。ぶっ壊れつつある社会つながりとして。

1997年に刊行され、十字架の向こうに屹立する世界貿易センタービルの写真を表紙にした本書は、

「このビルがぜんぶ粉々に崩壊するのが目に浮かびませんか?」

彼は俺の方を見た。

「それがこのビル群の正しい見方なんだと思いませんか?」

という一節を腹に抱えている。

それはもちろん、ツインタワーが同時多発テロによって実際に崩壊する前のことだ。 

つまらぬ符牒を「予言」などとあげつらうことには編集者以外、みないささか居心地のわるさを感じるものだが、本書に限っては、戦後「アメリカ社会の不安」の本質は決してソ連から飛来する弾道ミサイルではなくアメリカの繁栄そのものに内在したというデリーロの執拗な筆致をもって、本書刊行以来つづく恐怖と混乱の連鎖を予言したと云っても決して過言ではないだろう。

これもまた上下巻ともに600ページという大作だが、いま見たらKindle版が存在しており「『アンダーワールド』をベッドに寝転がって読める時代か…」と怖れをなした。

 

5. 「ゴッドスター」(古川日出男/新潮社)

ゴッドスター

ゴッドスター

 

この頃、小説にとってはスピードだけが価値だと思っていた、という古川日出男による読点(「、」)のない小説。改行と句点(「。」)だけで構成されている。この姿勢をゲーム脳と云っていいのかはやや考えるところだが、「走って殴ってザバス飲め」というまどのせさんの座右の銘にはふさわしい作品、そして作家だと思う。

僕もまた古川日出男の小説のいくつかが大好きだったのだが、それは「13」「沈黙/アビシニアン」「ベルカ、吠えないのか?」「ハル、ハル、ハル」ときて、この「ゴッドスター」で一段落してしまった。要するに僕がスピードについていけなくなったということなのだと思う。

なのですみません、まだどれも読んだことのない方には「ベルカ、吠えないのか?」がお薦めです。

 

6. その他の小説

さて、大上段に構えてお送りしてきたこのエントリーも書き手の限界を迎え、あとはただただ好きな小説をご紹介する恥ずかしい段階へきたようだ。

まず、以下のエントリーでご紹介した「ブルー・シャンペン」(ジョン・ヴァーリイ/ハヤカワ文庫)。

 

エントリーのなかで何度も云っているが、本当に恥ずかしいリストはこちらだ。


あと、こちらで紹介していた「ゴースト≠ノイズ(リダクション)」(十市社/東京創元社)も好きだ。

学園ものライトノベルの構造なのに、プロットと筆力でライトノベルから一歩踏み出している。

こういう作品を「たかが叙述トリック」みたいに云ってしまう風潮が僕は好きではない。なぜなら僕はそういうのに気付かない読者だからだ。

 

以上、長くなったが誰かに本を薦めるのはなかなか緊張するなと思った次第。

ザバス ウェイトダウン ヨーグルト風味【50食分】 1,050g

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思い出・アズ・ナンバーワン。

1番のバスに乗ってハーバード・スクウェアへ行く。自宅からは15分程度だ。

キャリアとしては無限の彼方にあるハーバードは、物理的にはこの程度の距離にまで近付いた。MITに至ってはそのさらに手前だ。

「俺にとってMITは通過点に過ぎない」

つぶやいてみたが、何の反応もないままゴミのようなツイートと一緒にTLを流れていった。

 

パンケーキフリークのメッカ・IHOPでキチガイじみた定食を食べたあと、いつもの韓国スーパーまで半マイルほどを歩いた。

僕の暮らすバックベイにくらべ、ケンブリッジは味わい深い物売り屋が多い。

ハーバードのお膝元だけあって、道端の本屋もバーンズ・アンド・ノーブル(早晩ひとびとの記憶にその名をとどめるだけの存在になるだろう)の呆けたラインナップとはまったく趣を異にする書棚を編集している。

 

元・米国務長官にして民主党大統領候補の座を手中に収めようとしているヒラリー・R・クリントンの手記“HARD CHOICES”(邦題「困難な選択」)を原書で購入。

もちろん日本のkindleストアで邦訳もすでに上下分冊が出ているが、ここは英語のトレーニングとして邦訳の存在を無視しているわけだ(本当は邦訳版もダウンロードした)。

それもこれもヒラリーが予備選で「社会主義者」バーニー・サンダースを破り、本選でドナルド・トランプを抑えて大統領の座を射止めることを早くから僕が確実視していたからに他ならない。

いまからこの大部の回顧録を読んで女史の政治的センスを大統領就任に先立って学ぼうというのだから、これでドナルド・トランプを悪く云う理由がひとつ増えた。

困難な選択(上・下合本版)

困難な選択(上・下合本版)

 

ハーバードの本屋で唸ったのは、ヘンリー・A・キッシンジャーの“Diplomacy”が3冊並んでいたところ。

これは政治史か何かのクラスでテキストに使われてるからに違いないが、日本では絶版で古本しか手に入らない状況だ。

外交〈上〉

外交〈上〉

 

「外交」はフランスのリュシリュー枢機卿以来、20世紀にいたるまでにみられた数々の世界政治の局面・人物を取り上げて戦略論を論じるパワーポリティクスの教科書だ。

大学の3年生になったとき、僕がなんとか潜り込んだのは、その年から非常勤で教鞭を執られていた有馬龍男先生のゼミだった。

ハーバードで日本政治史の講座を持っていたところを呼び戻され、外務省でアメリカスクールのバリキャリとして要職を歴任された有馬先生は、その後大学院でも僕の指導を引き受けてくださるわけだが、こちらはあっけなく半年で僕が中退する。

学部のゼミはまさにキッシンジャーの「外交」を講読することが軸になっており、僕も何度か発表をしたが、白状すれば全部は読んでいない。

ただ、引っ越しを繰り返すたびに必ず持って行く「まだ読んでない本」というのがいくつかあって、もっとも古くから移動を繰り返している書物のひとつがこれだということは、なんとかギリ申し上げておく。いまボストンにもある。

当たり前だが有馬先生の言葉にはいくつも心に残っているものがあって、これは学位ももたない僕の貴重な財産なのだが、「外交の成否を決めるのは、結局のところ人間同士の思いやりに尽きる」というのがもっとも印象的だった。

これを我々一般市民が額面通りに受け取るわけにはいかないが、「結局のところ」という言葉に力点をおきながら政治家や外交官の回顧録を読むことには価値があるのではないかと思う。

もっとも、先生がイギリスの外交官について話したというのはついぞ記憶にない。

 

生涯であと200回は言及する予定のジョン・ル・カレがわりと最近出した「われらが背きし者」という小説がある。

これは冷戦が終結したので「ここからは独立採算(!)な」と云われたイギリスの諜報機関が、ロシアマフィアの足抜けを手伝うことで、その隠し資産を巻き上げようという無さそうでありそうな筋書きなのだが、僕の好きな一節はこれ。

「それについては、われわれの言うことを信用してもらうしかない」
「あなた方の組織の言うことを?」
「当面は信用してくれ」
「何を根拠に?あなた方は、自分の国のためなら平気で嘘をつく紳士たちですよね?」
「それは外交官だ。われわれは紳士ではない」
「では、保身のために嘘をつく」
「それは政治家だ。われわれはまったく違うゲームをしている」

ブリカスwww

失礼。

われらが背きし者

われらが背きし者

 

ボストンでは唯一になる行きつけの居酒屋があって、知人とよろしくやっていたらオーナーがやってきて教えてくれた。

エズラ・ヴォーゲル先生がいらっしゃってますよ。よろしければご挨拶されてはどうですか」

背筋が伸びた。

エズラ・ヴォーゲルといえばご存じの通り、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で日本の高度成長が世界のパラダイムに変化をもたらす可能性について考察を加えた米国きっての知日派社会学者だ。

ジャパンアズナンバーワン―アメリカへの教訓 (1979年)

ジャパンアズナンバーワン―アメリカへの教訓 (1979年)

 

どうやらハーバード大学のとあるフォーラムがお招きをしており、そのささやかな打ち上げが行われているということらしいが、またとない機会なのでご尊顔だけでも拝みたく思い、図々しくも引き合わせをお願いした。

ウィキペディアによれば今年86歳をお迎えになるはずの先生は矍鑠として、当たり前だが見事な日本語で応じてくれた。いかにも日本通らしくサッと出てきた名刺にはカタカナで「エズラ・ヴォーゲル」とあった。

あわてて自分も汚い名刺を差し出した僕は、ところで酒が入ると多少の英語ができる。

「大学では戦後日米外交を専攻しまして、アリマ先生にご指導をいただきました」

「アリマ…タツオ・アリマか?そうかそうか、彼はハーバードの同窓だよ!」

「存じ上げています。先生のお話もたくさんうかがっておりまして。

 私も論文では先生の研究にたくさん言及させていただきました」

「おお、そうか。タツオはいまはどうしてるのかな?」

「存じ上げません」

「…そうか」

話はそれだけだったが、まさか直接お話しするようなことがあるとは夢にも思わなかった大家とのカンバセーションは、2015年の僕のハイライトだった。

これはおそらくエロ漫画の巨匠・山本直樹先生に直接サインを乞うてお応えいただいたあの日以来の感激だったといっていい。

思いがけず話が弾んだのに喜んだオーナーは、先生がお帰りになるときにも知らせてくれたので「今日はお話しできて嬉しかったです」と握手を求めたが、先生の酔眼はもうお前が誰だか分からないと告げていた。

残念だが当然だ。

 

さて、白状すれば僕はエズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を読んでいない。

だから論文で先生の研究にも言及していない。

だが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は 3冊も持っていて、そのうちの1冊はやはりボストンにある。「読まなければならない」という意識だけは絶えたことがない証拠だ。

エズラ・ヴォーゲル先生そのひととの出会いが、「菊と刀」とならび(といっては失礼なのだろうけれども)日本研究のメルクマールとされる名著(繰り返すが、読んでない)をひもとく機会としてこれ以上ないものだったことは間違いないが、それからはや半年経ったいまもまだ、僕はこの本を読んでいない。

明日から読む。

読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法

 

 

 

この物語の結末をあなたに教える。

いわゆるネタバレに怒る人々にどうこう云うつもりはない。ただ私はネタバレを気にしない。

自分がネタをバラされるのも気にしないし、ひとにネタをバラさないよう気を付けるつもりもない。

怒るのがあなたの主義なら、気にしないのが私の主義だ。

正義について語るのはやめようではないか。戦争になる。

 

いい物語は結末を忘れさせてくれる。

だから子どもたちは何度でも同じ話を聞きたがる。

オーシャンズ11」を(これ最後全員逮捕だったらどうしよう…)と本気で心配しながら観ていた人はあまりいないと思う。

「大丈夫だ」と分かっていても手に汗握る映画というのは撮れるわけだ。

だいたい結末という点でいえばきみの人生だってネタは割れている。最後は無力に死んでいくわけだが、それでもきみはそれを忘れて今日も必死に生きている。

がっかりしないで欲しい。つまりきみの人生は悪くない映画だと云っているのだ。エンドロールが終わるまで、席を立たずに見届けようではないか。

 

いい物語の話をしよう。

当然ネタバレを含んでいる。

ただ本エントリがはらむ最大の問題はネタバレではなく、手もとに本がないので事実関係に間違いがあるかもしれないということで、当ブログにはあまりないことだがここは正直にお詫びしておく。

大変申し訳ありません。

 

ブルー・シャンペンは巨大な質量の水を宇宙空間に浮かべたリゾート施設。

ある日、そこへメディア界の頂点に立つメガン・ギャロウェイがあらわれる。

幼い頃に事故で脊椎を損傷したメガンは、世界にひとつしかない矯正装置「黄金のジプシー」を提供されてやっと人並みの生活を送れるようになった障がい者だ。

彼女は身体を覆う金属製の外骨格を通じて自分の体験を外部の「テープ」に記録し、世界中でこれが販売された収入で「黄金のジプシー」の使用料をまかなっている女優だ。

 

QMは競泳のキャリアを諦めてブルー・シャンペンで監視員を務めている。

訪れたメガンが溺れかけるのを助けたQMは、女優としての華やかな顔に隠されたか弱さと、それを守ってあまりある芯の強さにひかれ、ほどなくふたりは恋に落ちる。

 

最悪の結末はこうだ。

プロデューサーたちは、いままでに一度も記録されたことのない「テープ」を求めていた。

それは「黄金のジプシー」を身につけたメガンが本当の恋に落ちる瞬間を記録したテープ。

シナリオもなく、演技でもない、心からの恋をするメガンを記録したテープを発売することを、彼らは夢見ていたのだ。

そしてもっとも深くQMを傷つけるのは、メガンがそれを承諾していたということだった。

なぜならばそれだけが、メガンが自分の人生を生きていくために必要な術だったからだ。

 

絶版になっている早川書房の「ブルー・シャンペン」(ジョン・ヴァーリィ)には、同じ世界観のなかで紡がれる六つの短編が収められている。

なかにはブルー・シャンペンで別れたメガンとQMのその後がうかがわれるエピソードも登場するが、それに関わらず表題作「ブルー・シャンペン」の小さな輝きは永遠に不変だと感じる。

浅倉久志の訳になる僕のバイブルのひとつであるこの作品を、大野万紀氏が巻末に寄せる解説の冒頭にある言葉とともにご紹介する。

「あなたはもう結末を知っている」

だがそれは物語をする妨げにはならないというのが僕の考えだ。

ブルー・シャンペン (ハヤカワ文庫)

ブルー・シャンペン (ハヤカワ文庫)

 

 

 

 

 

 

 

爆発する俺のノワール。海を渡るハードカレンシーはふたたびネットに戻る夢を見るか。

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とんでもない事件が起きたので、昨夜から激しく妄想を繰り広げている。

以下、このエントリはすべて僕の妄想であり、僕には事件を批評しようというつもりも、犯人を推定しようというつもりも、事件を肯定したり賛美したりしようというつもりもないことを念のため、あらかじめおことわりしておく。

当然、事実関係についてもなんら保証をしない。これは個人のブログに書き付けられたフィクションだ。

 

事件のあらましはこう。

全国17都府県のコンビニの現金自動預け払い機(ATM)約1400台で今月15日、偽造クレジットカードとみられるカードが一斉に使用され、総額約14億4000万円が不正に引き出されていたことが捜査関係者への取材でわかった。

 約2時間半の間に、100人以上の犯人グループが各地で引き出したとみられる。南アフリカの銀行から流出したカード情報が使用されており、警察当局は背後に国際犯罪組織が関与しているとみて、海外の捜査機関と連携して捜査を進める。

 捜査関係者によると、不正に現金が引き出されたのは、東京、神奈川、愛知、大阪、福岡など17都府県のコンビニに設置されたATM。日曜日だった15日の午前5時過ぎから8時前までの約2時間半の間に、計14億4000万円が引き出された。

コンビニで14億不正引き出し…17都府県一斉 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

当初は、人手にまかせたつまらん「叩き」だがシンプルな手法にもかかわらず14億円あまりという収穫に首謀者のカタルシスはさぞや大きかろうと想像するにとどまっていた。

だが事件の翌日、南アフリカの銀行が「流出したクレジットカード情報が使われ、被害を受けた」と届け出た。

この銀行が主張する被害額は21億円相当だという。

 

つまりこの事件は、南アフリカの銀行が発行するクレジットカードの情報が盗み出され、それをもとに偽造されたクレジットカードを使って100人以上の下手人が日本のコンビニATMから現金を引き出したという、押しも押されぬ「国際金融犯罪」だ。

引き出された現金はコンビニに設置されたATMに収納されていたものだが、これはクレジットカードの与信に対して払い出されたものなので、被害者は与信を行っている南アフリカの銀行だということになる。

この銀行は、ATMを運営する日本の銀行ないし取引を取り持つ機関に対して、払い出された紙幣相当の金額を決済しなければならない。

 

本件に触れて爆発した僕のノワールに対するロマンチシズムは、おおむね以下のようなところに端を発する。

  • 国際金融犯罪といっても、タックスヘイブンをめぐる租税回避などホワイトカラーの犯罪とは異なり、「詐取」をめぐるガチの犯罪、アンダーグラウンドの住人による犯罪であるということ。

  • 情報技術の発達により、情報がカネになり、カネが情報になった世界において、情報の詐取がカネの詐取につながるという非常に現代的、あえていえば近未来的だとすらいえる犯罪であること。

  • つまり100人以上の実行犯がATMを叩くという、一見暴力的な現象にもかかわらず、この犯罪が非常に知的な人物によって計画されたことがうかがわれること。

  • さらに、100人以上の実行犯に2時間半という限られた時間で、しかも17都府県という分散したロケーションで同時に現金を引き出させ、(おそらく)それを回収するという高度に組織化された犯罪を指揮する能力のある人物の存在がうかがわれること。

こういったところだ。

 

さらに、国際金融犯罪だということがはっきりした時点で、本件の首謀者、あるいはこの犯罪をファイナンスした、いわゆる「金主」は日本人ではなく国際犯罪のプロフェッショナルである外国人ではないかという直観も同時に得る。

なぜならば、この人物が日本人ではなかったとしても、現金詐取の舞台に日本を選んだことにはそれなりの必然性があると考えることができるからだ。

 

その理由は以下の通り。

  • 日本は依然として現金社会であり、街のそこここにATMが設置されていること。
    特にコンビニのATMを勘定に入れれば、1人あたりが短時間の間に複数のATMを利用して現金を引き出すことがいとも容易な環境だということ。

  • 特殊詐欺、いわゆる「振り込め詐欺」が横行し、その世界ではATMから現金を引き出す「出し子」のリクルートが容易に、安価に、大規模に、組織的に行われ、出し子からの現金回収がセキュアにできる仕組みが確立されていると想像できること。

  • ATMから引き出される現金が、米ドル、ユーロおよび英ポンドとならび国際決済が可能な「ハードカレンシー」たる日本円であること。

このようなところだ。

 

本件で使用されたのはクレジットカードであるから、海外のATMで利用可能なキャッシングの限度額は一日当たり日本円で数万円程度ではないかと考えられる。

つまり本件犯罪のマニュアルには、

「1台あたり、何枚のクレジットカードを利用して、それぞれ限度額いっぱいのキャッシングを行う。それが終わったら次のATMへ移動して同じ事を繰り返す。2時間半の間に預かったすべてのクレジットカードでキャッシングを完了したら指定の場所で現金を引き渡す」

というようなことが記されていたはずだ。

このためには、短時間で移動可能な限られた範囲内に相当数のATMがなければならない。

云うまでもなく、日本はこうした活動にはうってつけだ。

 

次に「出し子」の問題がある。

特殊詐欺においては、被害者から振り込まれた現金を口座から引き出すポイントに最大の逮捕リスク(チャンス)がある。

日本では、多重債務者を中心にこうしたリスクの引き受け手、逮捕されても何も知らず、組織については何も話せないが、逮捕さえされなければ回収した現金を忠実に組織へ届けるタイプの「実行犯」が大量に存在すると考えられている。

無数のATMに加え、ここから現金を引き出すことに慣れた人材と組織が存在することを知れば、たとえ日本人でなくとも現金詐取の舞台に日本を選んだことはそれほど不思議でない。

 

最後に通貨の問題がある。

おそらくどんな犯罪もそうなのだが、最後のポイントはゲットした現ナマの処分だ。

特に今回の場合には14億円とも21億円ともいわれる大量の日本円が実行犯の手にわたる。

カネは飾っていてもおいしくない(多少、楽しいが)ので、このカネはどうにか洗って表のカネにしなければならない。

いわゆるマネーロンダリングだ。

これほどの、斬新で大きな仕事だから、おそらく「その世界」では誰が手がけた、かかわったというような話は真偽を混然としながらもすでに流れているのだろうと想像している。

さらにいえば、クリーンだと考えられている「出し子」とて100人以上という規模だ。

いずれどこからどのように捜査の手が伸びても不思議はない。

最終的に「収益」を受けとる金主が海外にいればなおのことだが、いずれにせよ回収された現金は早急に国外へ逃がさなければならないと考えるのが自然だろう。

 

浅学のわたくしに思いつくのは、だいたい以下のような手法。

  • 国内の債権と、海外の債務を相殺するかたちで決済してしまう。
    ちょっと想像しにくいのだが、たとえば犯罪組織同士、またはフロント企業同士などの間で国際取引が存在する場合、その支払いにかかる債権債務と今回の「収益金」とを相殺してしまうという手法。
    現金は動かないので、海外側はかなりセキュアだ。
    ただし国内の組織は現金を抱え込むので、足が付いた場合にはこの現金を司直の手で回収されてしまう怖れがある。
    また、火器にせよ薬物にせよ、違法な物件は輸出するより輸入する方が多そうな日本の犯罪組織が海外に債権をもっているという状況は、カタギの僕には簡単に想像できない。

  • 国際取引を偽装して送金してしまう。
    フロント企業などを使って、海外から何かを輸入したという国際取引を偽装する。
    この支払い名目で、本件「収益金」を海外へ送金するという手法。
    何を輸入するかにもよるが、国内の企業にはこの支払いの多くを損金化して巨額の損失、つまり節税効果を得るというメリットもあるだろう。
    海外でこれを受け取る側については、「海外(域外)からの所得は非課税」という、いわゆるオフショア税制が敷かれている国・地域なら、受け取った支払いに課税されるコストもない。
    ただしこの場合にも、14億円なり21億円なりという巨額の現金が国内に滞留することになる。

  • 現金を直接海外へ持ち出してしまう
    このとき、ATMから出てくるのが日本円だというのが効く。
    先に述べたように、日本円は「ハードカレンシー」と呼ばれ、米ドル・ユーロおよび英ポンドとならび、国際決済に使用される数少ない通貨のひとつだ。
    これはどういうことかというと、たとえば香港の銀行で日本円の口座を開くと、持ち込んだ日本円のキャッシュをそのまま入金可能だということだ。
    持ち出す手段は、おそらく船がベストなのではないかと思う。

国内に現金を残さず回収を妨げるという手法は、ヤミ金で摘発された山口組系暴力団・五菱会が大々的に用いたことでみなさんの記憶に残っているかもしれない。

五菱会が「収益金」を海外へ逃がす手法は、橘玲「マネーロンダリング入門」で解説しているが、すでに使えない。利用された金融商品自体がすでに廃止されて存在しないからだ。

今回はワンショットであるということもあり、僕はあえて、この現金は物理的に香港へ運ばれると考えたい。

日本では現金百万円以上、またはその等価物を国外へ持ち出すにあたり、税関への申告が義務づけられている。

だが香港では、現金の持ち込み、持ち出しともに制限がなく、もちろん申告の必要もない。

当然、テロ資金や租税回避にからみ、マネーロンダリングには厳しい目が注がれる昨今だ。

香港の銀行にも、持ち込まれた現金に対してそのソースを質すコンプライアンス上の義務はある。

だが香港に現金が現れること自体について、香港法がこれを禁じていないことには間違いがない。

「この現金のソースはなんですか?」

「日本から持ってきた貯金です」

「あ、そうですか」

というやりとりで銀行が入庫を受け容れても、香港法には抵触しないはずだと思う。

これを日本で申告したかどうかは日本の問題だからだ。

こうやってもう一度現金を情報に変えてしまえば、世界の果てまではたったワン・クリック・アウェイだ。

 

さて、この事件が今後どのように明らかにされるかだが、僕はあまり期待できないのではないかと思う。

前掲の「マネーロンダリング入門」では、大規模な資金流出を起こしたカシオが気合いの裁判でカネの流れを解き明かし、国際金融犯罪の名うてのプレイヤーとその手法を描き出すことに成功するのだが、今回の事件は果たしてそこまで行き着くか。

大がかりな割に「アガリ」が少なく、予行演習に過ぎないのではないかというコメントもFacebookでは受けた。

すでに100人以上を動員しているので、物理的な限界からこのぐらいの金額が上限ではないかという気もする。

だが、今度はまたちょっと違う変化球がくるのかもしれない。

もし、しばらく経って何も明らかにならないようなら、小説にでもしたいぐらいだ。

もちろん、橘玲先生が先にやらなければだけど。

振り込め犯罪結社 200億円詐欺市場に生きる人々

振り込め犯罪結社 200億円詐欺市場に生きる人々

 

 

俺たちには、働くしかないということ。

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三十代もなかばを過ぎた人間が、やりがいだけに駆られて仕事をするなどというのは無上の贅沢というほかない。

カネも家族も、社会的意義も信仰も一切関係のない仕事に取り組んで一ヶ月になる。知人からの連絡は絶えた。

だが、遠足前症候群とならび試験前症候群はいくつになっても収まらないもので、そんな仕事をしながらでもときに気はそぞろになって普段はあれほど嫌なブログを書きたくなったりする。

ところで「大人の症候群」としてはビジネスクラス症候群もわりと危険で、僕はこれを直すのに二年ぐらいかかった。成田 - ホーチミンシティの六時間をビジネスクラスで往復していた当時の自分をみかけたら、情けなくて死んでしまうと思う。

 

この気持ちに片を付けるだけのために、一本エントリを書こうと思った。

「三十分で片を付けてやる」

その言葉が僕に、働く理由というやつを思い出させる。

 

大学の卒業が迫ったとき、僕にはやりたいことがなかった。

正確にはむしろ、人生やりたいことが多すぎて仕事をしているような時間はないという確信があったというべきで、これはつまりひらたく云えば「働きたくないでござる」という例のやつにほかならない。

 

もしどうしても仕事をひとつ選ばなければならないとして、その代わり何を選んでもいいとしたら何をするか。

就活生が血眼でやるという「自己分析」を、例によって勘違いした僕は進まないエントリーシートを前に、毎夜そういうことを考えていた。

ある日、ひとつだけ胸に迫る仕事が見付かった。

空母に乗艦する艦載機のメカニック」

作戦行動中の機動部隊を指揮する空母に被弾した艦載機が煙をあげながら帰ってくる。

消火器があげる煙のなかを駆け寄ると、思いのほか被害は小さかった。交換すれば、飛べる。

ラダーを降りたパイロットがヘルメットを脱ぎ捨てながら云う。

「三十分でこいつを空へあげてくれ」

クランクを力一杯回しながら、僕はそちらへ叫ぶ。

「二十分で飛ばしてみせますよ!」

 

二十一世紀はインターネットが爆発した轟音のなかで幕を開けた。

東京という世界の田舎はいつものように、床屋へ列をなしてザンギリ頭を求める企業でいっぱいだ。

ネット回線が切れれば一円たりとも商売にならない職場にもかかわらず、ダイヤルアップとADSLを区別できる人間は僕ひとりというのが、僕が流れ着いたバイト先だった。

「バカでも分かるネットワーク」みたいな本を書店で求め、暇な職場で読んでいるうちに周囲とのリテラシの差はますます開いていき、気が付くと一ヶ月に四百時間働くネットワーク管理者になっていた。

専用空調のガンガン効いたフロアで夏場からコートを着込んでサーバの保守をしていると、時給千二百円の僕の月収は単純な計算のうちに五十万円を超え、いつしか借金が消えていた。

 

「はっきり云って、やりがいなんか、くそくらえだ」

 

どこへ行くのかも分からず、ともすれば轟沈の危険の方が高かったあの職場に乗艦していたあいだ、夢に見たメカニックを演じるような高揚感がなかったといえば嘘になる。

また、働けば働くだけ見返りがあるなどという連勤術も産業自体に異常な活性があって初めてのことだというのは、凋落もエンディングが近い日本の家電メーカーをリストラされる中高年の無防備な生活設計をみるまでもない。

だがいまでも云ってしまうのだ。

何がしたいのかわからない、やりたいことが見付からないという人に出会うと。

働け。

これは自分の本当にやりたいことではないという気持ちを深く抱きしめたまま、黙って本気で働き続けろ。

その先に何があるにせよ、ないにせよ。

それ以外に道はないのだから。

 

では、仕事をします。

退職してトクする失業生活バイブル

退職してトクする失業生活バイブル

 

 

すべての昼と夜と、ジェフの見た夢。

今回もホーチミンシティ・東京出張が終わる。

前回はいろいろと思うところもあるタイミングだったため、東京では宿をとった歌舞伎町への思いがたぎり、某腐れSNSで昔語りを延々と連投した。

恥ずかしいのは恥ずかしいが、もう許されていい歳だと思う。

 

もし歌舞伎町という街がなかりせば、いまの僕らもいないであろう。

「僕ら」というのはあの頃一緒に仕事していた若者達のなれの果てだ。

まるでこのまますべての昼と夜を征服できると信じていたかのような、まじめで無謀な一群のサラリーマンたち。

そしてもしかしたら、あの頃僕らは本当にいくつかの昼と夜を自分のものにしたのかもしれない。

 

歌舞伎町の老舗居酒屋「囲炉端」は閉店したままだ。

「お前たちがいままでに囲炉端で払ったカネをすべて足せば囲炉端が買えていたであろう」

と云ったひとがいて笑ったが、実際には買ってリノベーションまでできたと思う。

マスターのナカちゃんが自宅の風呂で脳溢血を起こして死んだとき、僕たちは囲炉端の経営権を取得しておくべきだったのだ。

供養にもなっただろう。

 

いまはどうだか知らないが、当時の歌舞伎町というのは道ばたにヒリヒリするような物語が転がっている街だったと思う。

なかにはもう息をしていないものも少なくなかったが、多くはまだ生きていて、必死に取って食うものを探していた。

そうした物語たちはみなスーツやドレスで着飾って、そして恐ろしく魅力的だった。

近付いた者を飲み込もうと待ち構えている、その様子すらも。

いま思えばわりかし危険な遊びをしていたのだろう。

無傷とは云わないが致命傷を負わなかったのは僥倖だった。

 

飲み慣れたオヤジのエピソードとして僕のランキング一位に輝いているのは、カードが限度額に達して使えなくなっていたためキャバクラで免許証のコピーをとられ、「明日払いにきてください」と云われて店を出たあと、その免許証をもって次の店に飲み行ったひと。

「これでも飲めるんだ・・・」とつぶやいていたという。

実にいい話だ。

 

当時の経費申請は完全なザルで、キャバクラの領収書を週に八枚出しているやつもいた。

あまりにも経費が出ていくので、社長が「『税金で持ってかれるぐらいなら使った方が得なんだ』と吹聴しているやつが、必ず社内にいる。見付け次第殺せ」と云っていた。

結局、税務調査で「この領収書の○○観光っていう会社ですけどね、社長。これは風俗店ですよ」と指摘を受けた社長が「さすがに勘弁してくれ」と云いだし、あるときからは厳しくなったというか、普通の会社並みにはなった。

 

経費問題でいうといまでも納得がいかないのは、関連会社でマッサージチェア(五十万円)を購入したバカ社長がおり、親会社の経理に蹴られた領収書がなぜか僕のところへ回ってきて、現金でその領収書を買い取らされた件だ。

カネはともかく、だったらマッサージチェアは俺のものだろうと思ったが、気がついたら他の人が使っていた。

 

僕は経費で酒を飲んだことがない。

そればかりかこのマッサージチェアみたいな事案で謎にカネを払うハメになることが多い立ち位置だったのだが、あとで聞くと周囲は僕がそれも経費で処理していると思い込んでいたらしいとわかり、激しくガッカリしたものだ。

カネの使い方は、ひとからの見られ方を意識して、という学びがあった。

 

「囲炉端へ集合→キャバクラ→キャバクラ→野郎寿司またはおかめ食堂→4時帰宅」というのが基本パターンの毎日で、そのあちこちで知り合いに会うという嘘みたいな街が歌舞伎町だった。

なおキャバクラをハシゴしているのは、当時は二十三時閉店の店と午前二時閉店の店があり、一軒目が閉まったら遅い方の店へ移動するからだ。

 

先日みたら、おかめ食堂も、もうなくなっていた。

明け方にオムライスとしじみの味噌汁を吸い込みながら「MONSTER」を読んでいたのを思い出す。

毎晩のようにくるわけだからすぐに読み終えそうなものだが、劇的に酔っているため昨夜どこまで読んだか忘れている。

帰る直前に少し酔いが醒めてくると、ようやく「あっ、これゆうべ読んだとこやんけ!」と気付くのだが、そこで帰ることになる。

こうして同じところを何回も読むので全部読み終わるのに三年ぐらいかかった。

 

云うまでもなく僕はキャバクラにドハマリしていたのだが、それでも一人で行くようなタイプではなかった。

必ず誰かを連れて行くのだが、結局そのひとと話し込んでしまうので「うでさん、何しにキャバクラ行ってるんですか。相手も女の子と話したいと思うんですよね。うでさんと話すんだったらキャバクラじゃなくてもいいし・・・」と注意されることが多かった。

まぁこれはいまもそうだ。最近はまず行かなくなったけど。

 

朝(というか昼)起きたときには布団のなかで(今日はキャバクラには行かないぞ・・・)と誓うのに、二十時になれば必ずどこかの店に入ってしまっているという、はっきり云って病人の生活だった。

二十時といえばキャバ嬢の出勤より早い。

僕が払うわけなので一緒に付き合ってくれる相手には困らなかったが、さすがに大晦日には誰もつかまらず、仕方なくひとりで行ったのを覚えている。元旦は店がやってなかった。

 

もちろんその時々で「本拠地」にしている店はあったが、特に指名のない店でフリーの娘を相手にしていい加減な話をするのも嫌いではなかったので、あえて指名をしないようにしている店も多かった。

こうした店では、自分とはまったく違うペルソナをいまにうまく語れるかというトレーニングを己に課していた。

一番好きだったのは、そして一番よく使ったのは「サーカスのプロモーターである俺」というペルソナ。

これはもちろん「何のお仕事されてるんですか?」がキャバクラでは定番のアイスブレイキングだからだ。

最初はラスベガスでシルク・ド・ソレイユを見たばかりだったので思いつくままに口から出任せを放ったのだが、そのうち徐々に自分がハマっていき、最終的にはきわめて精緻な物語ができあがっていた。

 

僕の母親はアメリカのミネソタ州へ留学しているときに日本人の父と出会い、僕を身ごもった。

父はドサ廻りの一座を手伝うサーカスのマネージャー。

アメリカ中を渡り歩く流れ者の一味だったから、母の両親はもちろん結婚に反対した。

だが、母は当時でアメリカへ留学して、サーカスのマネージャーと恋に落ちるような女性だ。

決心は固く、大学の卒業も待たずに僕と両親はサーカスと旅する暮らしを始めたのだった。

 

云うまでもなく、それは変わった暮らしだったが、それが変わっていることに気付くまでには時間がかかった。

一座に子どもは僕だけで、変わり者ばかりの一座は僕の大家族であり、生まれたときから世界のすべてだったからだ。

なにぶん子どもっぽい人も多かったからそこここで喧嘩は絶えることがなかったが、みんな僕にはよくしてくれたし、両親も幸せそうだったと思う。

 

どこまでご存じかは知らないが、この手の小さなサーカス団ではメンバーはしばしば入れ替わるものだ。

ひとつの街にしばらく滞在していると、ある日サーカスへ戻ってこない者がいる。

たいていは女(あるいは、男)ができたのだ。

そうすると父は困ったような顔ひとつせずに演目を入れ替えてその晩のショウに備える。

ただし、その街を出ようというときには少しだけ妙な間が生まれるのだった。

もう準備は整い、あとは三台のトレーラーとバスのエンジンをかけるだけという段になったとき、誰もがなにかに気を取られたふりをして、黙ってタバコを吸っているような時間。

彼が帰ってこないかと、待っているのだということは子どもの僕にもわかった。

 

僕は「恋」とはそういうものだと学んだ。

家族の誰かが恋をするたび、旅する仲間が入れ替わる。

恋をして、その街にとどまったひとがその後、どうなったのかは誰にも分からない。

サーカスを去ったひとのことを話さないのは、一座の暗黙のルールだった。

 

そしてある年の春、雪が溶けたばかりのミシガン州の湖畔の街で、僕は初恋を経験する。

サーカスがテントを張る裏手にあった、ささやかな遊具を備えた小さな公園に、毎日やってくるおしゃべりな女の子に僕は惹かれ、毎日早くから、ブランコを漕ぐフリをしながら彼女が現れるのを待つようになった。

 

彼女の家は公園の脇にあり、僕の父はそこへテントを構えるにあたって彼女の両親と何事か相談をしていたようだった。

一度だけ、僕は父と一緒に彼女の家へ寄ったことがある。

映画にでも出てくるような、典型的なアメリカの一家が暮らす真っ白な家だった。

 

ある日、女の子は僕に、あなたの家はどこなのかと尋ねた。

僕は少し驚いて、そこに建っているテントを指さして見せた。

彼女はけげんな顔をしたが、礼儀正しかったからか何も云わなかった。

やがて日が暮れ、サーカスに人が集まり始める頃、彼女は僕を相手に話をするのをやめてブランコを降りると「また明日」と家に帰っていった。

次の日は、サーカスがこの街を発つ日だった。

朝早くテントは片付けられ、彼女が目を覚ました頃には、僕たちは跡形もなく消え去っているだろう。

だけど僕はそれを彼女に伝える術を知らなかった。

僕たちは、あまりにも違いすぎたからだ。

「また明日」と彼女に応えたとき、胸のなかで何かが身震いしたのがわかった。

 

サーカスでは、誰かに何かがあればすぐにみんなが気が付いた。

だから僕に何かがあったのだということは、両親にだってすぐに分かったことだろう。

それがきっかけになったのかどうかは分からない。

だがその年の夏が去る頃、僕たち家族の長い旅は終わる。

西海岸の海辺の街で母が云った。

「あなたは学校へ行くのよ」と。

 

「学校へ行く」というのは、母が僕を日本へ連れ帰り、そこの小学校へ通わせるということだった。

サーカスも、長い移動も、たまに連れて行ってもらえるダイナーの朝食もない生活を想像するのは、はっきり云って僕には不可能だった。

そして何よりも父と別れて暮らすということを想像するのが。

僕の手を引いて十年ぶりに日本へ帰った母は実家に近い関西の田舎町で僕を育て、僕はみんなと同じように学校へ通った。

なにぶん子どものことだ。サーカスの暮らしはすぐに過去になった。

 

僕の知る限り、帰国して以来、母は一度も父に会っていない。

聞いたわけではないが、おそらく離婚をしたとかいうことではないのだと思う。

僕が東京の大学を卒業し、就職を諦めて父のところを訪ねてみたいと云い出したとき、母は黙って父の居所を教えてくれたからだ。

父と、それからサーカスのいるところを。

 

十六年だ!

身も心も日本人の僕に、抱きしめてきた父親の歓迎はむずがゆいものだった。

サーカスにわずかでもおぼえのあるメンバーはひとりも残っておらず、小さな頃から母に一座の話を聞かされ楽しみにしていた僕は少なからずがっかりした。

思いがけず再会することができたのは、年老いた象のトーマスだけだ。

 

僕はもう大人だったから、昔のように可愛がられることはもちろんなかった。

それはとりもなおさず、僕もある種のメンバーとして一座に迎えられたということだ。

それは誰かと少し仲良くなって、他の誰かとは少し険悪になるということだった。

なかでもひどかったのはナイフ投げの若い男で、それは僕が日本語を教えていた曲乗りの女の子に彼が惚れていたからだ。

何度かひやりとすることもあったが、父は何も云わず、知らないふりをしていた。

逆によくしてくれたのはコックのジェフという男で、それは一座のなかでもステージにあがることのないのが彼と僕だけだったからだ。

まもなくジェフを手伝ってみんなの食事を作り、トーマスの世話をするのが一座での僕の仕事になる。

 

サーカスの男達には怪しげな自慢話が多かった。

ジェフのそれは若い頃に貨物船へ乗り込んで飛び回った世界の国々の話。

上海、トーキョー、タンジール、ボンベイ

食後にジェフが僕を相手に話す思い出話はどれも痛快で、胸が躍るようだった。

海外のことをまったく知らないみんなも周りでよく聴いていた。

つまらなそうに爪を磨いているナイフ投げですら耳はこちらに向けていたぐらいだ。

 

僕がサーカスへ戻ってから二年が経った頃、トーマスが死んだ。

何歳だったのかは誰にも分からない。

象遣いの小男は悲しんだ。

ささやかなお葬式をやり、保健局のトラックがトーマスの亡骸を運んでいったあと、僕とジェフを相手に象遣いは深夜まで泣きながら酒を飲み、酔い潰れて寝た。

象遣いが寝た頃には僕もジェフもずいぶん酔っていたが、不思議と高ぶる気持ちがあって寝られそうになかった。

飲み直そうかと声を掛けたが、テーブルの向こうでジェフは、テントの隙間から外の暗がりへ目をやったまま返事をしなかった。

象遣いのヤツ、いつもはジェフの話が大好きでおおはしゃぎする陽気な男なのになと、また一人で飲み始めた僕が云うと、今度はジェフがこちらを向いた。

 

妙に醒めた空気になった。

僕が黙っているとジェフは、俺はアメリカから一歩も外に出たことがないとポツリと云った。

僕は驚いてひっくり返りそうになった。

アヘンの煙が立ちこめる上海の暗い路地裏やタンジールのバザールで繰り広げられた逃走劇は、アカサカのホテルでベースを弾いたご機嫌な夜は、マヨルカで彼を待つ人妻は、いったいどこへ?

 

つまるところ、ジェフも立派なサーカス芸人だったわけだ。

僕を相手に夜な夜な語った話のすべては彼の大ボラであり、美しい夢だったのだ。

お前は日本にいたんだろう、と重苦しい調子でジェフは云った。

日本へ帰れ。

旅するサーカスは、結局どこへも行きはしない。

サーカスは閉じられたサークルを回り続けるだけで、どこへも行けはしないのだからと。

 

翌朝になると、ジェフは姿を消していた。

今回はさすがの父も頭を抱えているようだった。

サーカスにコックの代わりはいないからだ。

僕がやろう、と僕は名乗り出た。

トーマスの世話がなくなって、時間はできるだろう。

それから、僕は父に云った。一座を連れて、日本へ行こうと。

 

父と団長の話し合いはすぐについた。

もともとこの二人はあまり深刻になるタイプではない。

要するに、問題はカネだ。

学生時代にイベントの催行会社でアルバイトをしていた僕は、そこから社員になれと誘われた経緯もあって、興行の世界にツテがないわけではない。

しばらくして一座が新しいコックを見付けると、僕は一人日本へ戻ることになった。

 

云うまでもなく、ことは簡単ではなかった。

しかしこちらはもともとがドサ廻りの一座だ。

たいしたおカネが必要なわけではないという強みはある。

東京では門前払いだったものの、地方には脈があった。

寂れた遊園地や一夜限りの夏祭、小学校のイベントごとなんかをとりまとめた日程は全国を移動する長大なものになった。

 

二ヶ月にわたるツアーがいかに大変なものだったかに時間を費やすのはやめよう。

二度とくるなよと警察から釘を刺されたところもひとつやふたつではない。

そうでなくても、個人でだってもう泊めてくれない出入禁止の宿も全国に、無数にある。

まぁ要するに、こうしたトラブルにまつわるあれこれが、僕の仕事になったわけだ。

 

父の一座がアメリカへ帰ったあと、僕は東京に残って自分一人の会社を立ち上げた。

いろいろなことがあったが、生まれ育った日本でサーカスの一座と旅する生活には、どうにも心惹かれるものがあったから、もう少し「夢の続き」をみたいという思いがあったのだ。

食っていくためには色んなことに手を出したが、やがて少しずつ海外から連絡が入るようになった。

はじめは父から話を聞いたというアメリカの小さなサーカス団から、それからヨーロッパのジプシーの流れをくむような旅の一座や、東欧の少し大きなサーカスまで。

彼らのためにツアーを組み、束の間一緒に旅をするのが僕の仕事だ。

 

こんな話を短くても一時間あまりにわたって聞かされるのだから、女の子たちはカネに見合った仕事をしていたといえる。

ただ、これだけの話をするためにはフリーで入っても彼女たちを場内指名しないといけないわけだが、この手の店に指名で戻ることはまずなかった。

 

こうして「夕方からのお友達」と過ごした時間の多くは忘れてしまった。

だけどそれがいまの僕に強く影響しているのは疑いようもない。

もし僕に絵が描けるなら、ドガかロートレックのようにあの頃の夜を描きつけたろうけれども、残念ながらそれはかなわない。

だからこうして少しだけ、当時のことをつぶやいてみたかったというだけのエントリだ。

「統合失調症の石田(仮名)」について。

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僕は健常者も障がい者も、法定の話を離れれば、部分的に相対的な存在でしかないと考えているが、だからといってもちろん僕が自分のことを「どっちかといえば障がい者みたいなもんだ」などということは許されない。
相対的にいって、充分に恵まれた心身の状態を維持しているからだ。
僕の抱える問題があったとしても、それは一般に「性格」の問題でしかない。
だけどそれでも、僕がその性格の問題を乗り越えて(あるいは回避して)人並みに生きてこられたのは、やはり多くの幸運な出会いがあったからだと感謝しない日はない。
これは本当だ。
 
それは、多くの人が暮らす社会のなかではいつまでたっても「幸運」でしかないのかもしれない。
であればせめて、より多くの人が幸運にめぐりあわせるよう祈り、その一助となる以外に、僕が自分のここまでの人生を肯定する術はないというのが正直な思いだ。
 
だがそのためにも無理はできないし、してはいけないのだろう。
だからこそ、無理をしなくていいぐらい、自分の能う限り強くなる必要があるというのが、ひとつの指針にはなっている。
 
二十代の終わり頃から、「四十歳になったら働き方を変えたい」と思いながら仕事をしてきた。
企業を経営する目的と、自分の人生を肯定していたいという思いをひとつにできるような、そういう仕事がしたい。
たまたまつかんだ儲かる仕事を正当化するために社是や理想を掲げるような生き方は、そもそも僕とは無縁だ。
だから、いま僕が経営する会社には社是も理想もない。
それは僕が生きていくためにやっている仕事であって、その仕事のために生きているのではないという証明でもある。
 
そもそも会社なんか、人の生き死にには本質的な関わりがない。
「カネさえあれば誰も会社員なんかやらない」という言葉に頷けるとすれば、それが証拠だ。
だから歴史的な役目を終え、社会的に不要になれば、会社なんか必死になって救済する必要などないというのが僕の立場だ。
ただ、もし本当に救済されるべき、生き残るべき会社があるのだとすれば、大切なのはきっと会社そのものではなく、その会社が存続すべき「目的」の方なのだろう。
そういったホンモノの「目的」を、僕が仕事をすべき本当の理由を、見付けなければならない時まであと一年と三ヶ月。
もっともっと、いろんな人に出会って少しの時間をいただきたいです。
 
統合失調症の石田(仮名)」は少し前に書かれたエントリですが、匿名ブログであるにもかかわらず「石田(仮名)」とした投稿者の思いを汲むつもりで、石田さんの幸せを祈ります。