新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

鳴らない電話をもう一台。

docomo第三新東京市支店が「第五種情報管理統制機器 SH-06 NERV」つまり「エヴァンゲリオン携帯」(「エヴァ携帯」と呼んでもいいだろう)を発売すると発表した。

なにからなにまで素晴らしいが、「マットな手触りの塗装」というくだりがことのほかよい。

だがdocomoである以上、私は手を出すわけにいかない。

*  *  *  *  *

その夏、僕は無職ではなかった。

学校をやめた僕はその頃、中古レコード屋で小さな店舗を任されながら、翌年の春に「新卒」を偽ってどこかの会社へ就職するため準備を進めているところだった(これは結果的に成功する)。

8月の夕方、江戸川区の花火大会に誘われていた僕は7時に急いで店を閉め、会場へ向かう。

都営新宿線の駅を降り、1発目が打ち上げられようかという間際に僕は川沿いの会場を埋め尽くす人混みに分け入った。


そのとき携帯電話はすでに使い物にならなかった。


一足先に場所をとっているはずの仲間たちに連絡をとろうと僕は焦ったが、何度確認しても携帯のディスプレイには「しばらくお待ちください」のメッセージが流れ続け、発信できない状態が続いた。

せまい所へ多くの人が集まったため、機器が電波を中継できなくなっていたのだ。

押し合いへし合いの河川敷で地団駄を踏んで携帯をののしり、仕事を恨み、運命を呪う僕はあたかも無声映画の哀れな主人公だった。


望みもないまま見知った姿を求めて土手をさまよったあと、突然周囲のざわめきが遠ざかり、諦めが訪れた。

僕は屋台で缶ビールを二本買い求めると、家族連れが敷いたビニールシートの端にそっと腰掛け、花火を見上げ、ビールを飲んだ。

花火は綺麗だと思ったが、本当に綺麗だとまでは思えなかった。


最後の花火が散り、人が帰り始めて20分が過ぎた頃、ようやく電話がつながった。

思い思いの風情で余韻にひたる仲間のところへたどりついたときには酒もほとんど残っていない。

探し出したビールを何本かあおり、携帯電話を江戸川へ投げ捨て、草むらに吐き、手を洗おうと近寄った河に落ちた。


一度頭まで沈んだため、びしょ濡れだったが寒くはなく、ただタバコが吸いたかった。

ポケットのマルボロはフィルターまで濡れそぼっており、僕は彼らに施しを請う。

「こんなもんでよかったら、いくらでも吸ってください」原田が自分のタバコを箱ごと寄越した。

auは繋がってましたけどね」。

震える手で火を付け、マルボロの箱を返すと受け取った原田がぽつりと云った。

次の日僕は交番へ出向いて「花火大会会場付近の水中」に携帯電話を紛失した旨の届けを行い、永久にdocomoを解約した。


docomoは迷惑メールが自社のメールサーバにかける負荷と、それによる契約者の負担増を謳い、迷惑メールのフィルタリングに血道をあげていると喧伝する。

だが受信に対してもパケット通信料を申し受けるdocomoにとって、大量に着信する迷惑メールはかつて貴重な収入源だった。

docomoタワーはスパムで建った」と云われるゆえんである。

その後docomoのスパムフィルタの実効性は、「パケ放題」の普及とともに向上していく。

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二台目の携帯電話が必要になったとき、僕にはSoftBank以外の選択肢がなかった。

これはいまでも使っているが、海外にでも行かない限り、誰もこちらにはかけてこない。

三台目の情報管理統制機器にはいよいよ誰もかけてこないだろう。

そしてマットな手触りへの激しい渇きも、僕とdocomoを和解させることはできない。