新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

観光地ではないどこかへ。

在日バングラデシュ大使館は、JR目黒駅を出て山手通りをわたり、さらに10分ほど歩いた閑静な住宅街のなかにある。
まったく同じ造りの一戸建てが二軒並んだかたちの大使館の、向かって右手側の建物でビザの申請や発給が行われ、左手の建物には商務部が入っている。
日本人がバングラデシュに入国するには事前にビザを受給しなければならない。欧米にしか旅行しないという分には「3ヶ月未満の滞在は査証(ビザ)免除」であるからパスポートには「出国」「入国」「出国」「入国」・・・・とそればかりスタンプが捺されることになるが、本来このページはそれぞれの頭に「査証 -VISAS-」と記されている通り、受給したビザを貼付するためのものなのである。

「なのである」などと云っているが、概ね無難な人生ばかりを送ってきた私はビザが必要になるほど気の利かない国に旅をしたことがない。
なにしろ「お前はサバイバルという状況にどこまで耐えられると思うか」と尋ねられ、「サバイバルになると判った時点で自分から死ぬと思います」と答えた温室育ちだ。上げ膳据え膳とまでは云わないが、せめて日本人が旅して当然のところを旅するうちに人生を終えたいと思う。

バングラデシュ大使館におけるビザの申請は平日の午前中いっぱい。交付はその翌日以降の午後のみ受けることができる。


元来不精者の私はついに出国の二日前まで申請を行わず、受け取りが翌日だということを考えると、もうギリギリのリミットまで引き延ばした挙げ句、窓口へ駆けつけた。
ひどく愛想のない女性の職員に顔写真を貼り付けた書類とパスポートを委ね、通関について訊きたいのだがと尋ねると隣の館へ行くよう云われた。まったく表情というものを感じさせない話し方だった。




東京の一軒家だと考えると異様にひろびろとした屋敷に土足であがりこみ、誰に見とがめられることもなく奥の扉を押した。


商務部の室内は雑然としている割に人気が少なく、もうひとつの戸口でベンガル語を交わしている職員が二人、奥の方のデスクで窓に背を向けて電話をしている日本人が一人いるだけだった。


バングラデシュ人の職員は日本語が話せないのか、私の存在を認めても用向きを尋ねることもせず、ちらりと見ただけでおしゃべりを続けている。仕方なく僕は、窓際の男が電話を終えるのを待った。


「あの、すみません」


電話を終えたのにこちらへ構わず仕事に戻ろうとした男に向かって慌てて私は声を掛けた。


「何でしょうか」男はやはり日本人だった。


バングラデシュへ入国するために今、ビザの申請をしてきたのですが税関手続きについてお伺いしたいことがありまして」私が云うと男はデスクの向かいに用意された椅子を示した。


「現地で小学校を訪問する予定をしておりますので、少しなのですが学用品を寄贈したいと思い、持っていくつもりでいます。持ち込む量によっては税関申告が必要になると思うのですが、手続きについて教えていただけますでしょうか?」


「入国はいつですか?」男の口調はなぜか少し警戒を含んでいる。


「明後日です」と私は答えた。


「ああ、そうですか」男は私の目を見て話し始めた。「まずお伝えしておかなければならないことは、寄贈品というのは日本人の感覚ですと関税がかからないということになりますが、バングラデシュの場合、寄贈品でも関税はかかるんです」


「え、それはひどい話だな」といつものように思わず私が口にすると、


「ひどい話と云われても、そうなんですよ」男は気まずそうに顔をゆがめて苦笑すると言葉を続けた。




「だから日本人の方でもバングラデシュに寄付をするんだなんて云って日本で古着を集めて現地へ送るでしょう。


でも、実はその古着にも関税がかかるので、どうなるかと云うと、税関で止められて、寄贈先の、たとえば学校の方へ連絡が入るわけです。関税を払って、取りに来てくれと。


でも、まぁ関税と云っても10%もかからないぐらいだと思いますが、それでも100ドルに対して10%と云えば10ドルですよね。これは彼らにとっては大変な大金で、それからトラックを手配して空港へ回して引き取ることを考えると、とてもじゃないですがそんなお金はない。


というわけで、これは大変失礼で云いにくいことなんですが、実際にはこちらのNGOの方なんかが現地に送られた寄贈品なんてのは多くが税関に山のように積もったままになっているような状況があるんです」




だからあなたのように、直接持って行って自分で関税を払うということになると、これは彼らは喜ぶと思いますという話であった。


バングラデシュと云えば世界最貧国として知られる国だ。実態が報道されることこそまれではあるが、その社会支援に取り組む日本人や団体は少なくない。


しかしその取組に対して関税をかけるという政策には首をかしげるしかなかった。まだ行ったこともないうちに一事が万事というわけにはいかないが、ひどい愚かしさを感じた。政治的な腐敗臭がする。




「いずれにせよ、現地へ入る機内で税関申告書を受け取ってください。それに記入して、空港の税関で見せれば手続き自体は簡単に済みますから」


男はそう云うとデスクのひきだしを開け、名刺を取り出した。


「私も実は現職に就いてまだ三ヶ月でしてね・・・・・いまお話ししていることも前職の者からそう云われたことを請け売りでお話しているだけなんです」


おとなしく話を聞いているこちらの様子に安心したのか、男の表情は少し柔らかくなったようだった。


突然の告白に拍子抜けした私に名刺を渡すと男は続けた。


「現地にいらっしゃって、もし私の話と違うところがありましたらメールでも結構ですから教えていただけると助かります。でないと、私も尋ねられるたびに間違えたことをお伝えすることになってしまいますから」


日本の首都で一国の交易を代表する部門を訪ねてものを頼まれるとは思わなかった。ようそろ。


「フィードバック、ですね」私は答えた。「承知しました。いずれにせよご連絡します」




バングラデシュは国家の有り様としては非常にあいまいな側面から、私のまえに現れつつあった。


「では、どうぞ頑張っていらっしゃってください」男は私の名刺を一瞥して云った。


頑張って、か。


たかが観光ビザで訪れる先で「頑張って」こいと云われるとは思わなかった。


私がただの観光客などでないことは、彼にもわかっているのだろう。あるいは何をしに行くにせよ頑張らなくてはならない国だという、バングラデシュ勤務の長かった彼の、これが警告か。


3泊5日の予定が随分長いように思われた。自分の無事を願う気持ちが、急速に高まっていく。


狭苦しい目黒の駅前はきたときと同じように薄汚れていたが、その光景も人も、奇妙なほど大切に思われた。