新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

コーラン。ババ抜きは続く。A氏は安寧を願っている。


新宿メロドラマ。-ロビー


最終日の朝は遅めの朝食にして身体を休める。今日の夜ダッカを出る便で出国すると、成田まではまた長い旅になる。

ビュッフェでは果物や野菜を慎重に避ける。

二日前にホテルに着いてから、僕は歯を磨くのにもミネラルウォーターを使っている。水道の水を使うと腹を壊すとT氏に教えられたからだ。

三年前にバングラデシュを訪れた二人の退役自衛官は二人とも激しい下痢とともに帰国した。彼らは「サラダにやられました」と報告した。

かくてバングラデシュ訪問にあたり下痢を特A級のリスクと認めた僕は、もう丸二日間というもの生野菜の類に手をつけていない。厚労省の「目安」を200%以上上回る成分を含有するこちらも特A級の「生サプリ

」をガリガリ噛んで壊血病を防いでいた。

ここまで下痢の気配はなし。備えあれば憂いなしだ。


チェックアウトを済ませてロビーで迎えを待つ。当然、大幅な遅れだ。なにせ今日は日曜日だからダッカは平日なのだ。

ラウンジで休んでいると、隣のテーブルに着いた老人の携帯がたまに着信し、そのたびにコーランが大音響で響き渡る。

イスラム圏の音楽というのは、ブルース圏のそれとは本質的に異なっている。

「あるスポーツが盛んな地域を調べると、覇権国の勢力の歴史が見えて面白い」といしいしんじが「その辺の問題

」で云っていた。音楽について同じ事を調べると、民族移動の歴史がわかるに違いない。


今日の目的地はダッカ市内にあるアパレル工場だ。

人件費の安さが注目を浴び、バングラデシュの繊維・縫製工場は世界中のメーカーから注文を受けるようになっている。最近ではユニクロが自社工場を出したことが話題を呼んだ。

経済のテイクオフが軽工業から始まるのは、産業革命以来のならわしである。


工場は大規模なものだ。

いくつもあるビルディングを上から下まで見て回り、その広大なフロアを埋める労働者の数と彼らが手がける製品の多種多様なことに舌を巻く。

体育館ほどの広さがあるおのおののフロアで働いているのは多くが女性の従業員で、サリーをまとった彼女らが何百人と肩を並べ、生地にプリントをしたり縫い取りをしたり、型紙を抜いていたりするのはまさにこの貧しい国の「雇用の現場」といった風景だった。

「彼女たちは採用されたらすぐ職場に入るのですか?それとも何かトレーニングが行われて?」僕が尋ねるとAさんが答えた。

「彼女たちはここへくると2週間から1ヶ月ほどのトレーニングを受けます。それに耐えなければ採用はされません」

つまりこの「トレーニング」に耐える人材足りうることが、初等教育に期待されるミッション1というわけだ。なにも選抜されない子供たちにとって教育が無意味だということではない。


会議室でここの社長がミーティングの時間をとってくれる。

「日本のミズノからも受注したことがあるよ、後ろにかかっているそのシャツだ。世界中から注文がくるんだよ。我々はたしかにバングラデシュの会社だが、使われている機械はすべて日本やヨーロッパから取り寄せたものだからね。品質はとても高い。でもこの国では賃金が安いから、安い値段で作ることができる。それが世界から重宝される理由さ」

茶が出されるが、怖くて手を出せない。ペットボトルのミネラルウォーターばかりをあおった。

T氏が尋ねる。


「賃金が安いのがバングラデシュの強みだとあなたはおっしゃった。しかし少し前には中国がそうでしたね。ところがいまは賃金も高くなってしまい、世界の工場はバングラデシュへ移ってきた。日本だって昔はそうだったんです。賃金が安かった。ということはバングラデシュも、やがて賃金は上昇していくでしょう。そうすると工場はまた賃金の安い他の国を探して出て行くのではないですか」


この人の凄いところは、相手が誰であろうと核心に触れることをはっきり口にし、それに他意がないことを言外に伝えられるところだ。何を云っても嫌みになってしまう僕とは雲泥の差がある。

社長はにこやかな表情を数瞬くもらせた。

「もちろん、そうなるだろう」

つまりこの広大な工場に未来はない。

繊維工業によって繁栄を呼び込んだダッカの産業社会は、その繁栄によって繊維工業の首を絞める。

バングラデシュはその繁栄を足がかりに次のステージへ進んでいくが、この社長は工場ごと取り残されるだろう。ここもやがて巨大な廃墟になる。

「あなたがこの国の大統領だったら、この国の未来のために何をしますか」T氏はさらに尋ねる。カナダ帰りだという若いマネージャがちょっと考えて答えた。

ダッカの状況は悪くなってきています。渋滞もひどく、環境も悪化している。人が多すぎるのです。原因は首都に多くの機能が集中しすぎていること。インフラがダッカに集中しすぎているのです。これを分散させていくことが重要ですね」

bullshitだ。

僕は心のなかでつぶやいた。帰国子女のこの若造は自分の国をまるで他人事のように見ている。

だがある意味ではこれがこの国が待望する「知的エリート」の姿なのかもしれない。少なくとも社長は戦略的に自分の人生を生きる能力を持っていないし、この若者はバングラデシュのどのフェーズにも対応可能な能力と柔軟性を持っている。バングラデシュが将来を託すべき人材がどちらであるかは明らかだ。


先進国は安い労働力を求めている。資本主義はその起源において、植民地が不可欠だとされていた。

今世紀に入り植民地が放棄されるにつれ、その考え方は論理的というよりはむしろ倫理的な理由から後退していく。

だがその実は何も変わらない。

先進国は本質的に、未発達な国を「必要としている」のだ。

やがてアジアの国々は(おそらくバングラデシュを最後にして)残らずテイクオフを果たす。

その次はアフリカか。その後100年も待てばアフリカもまたアジアのあとを追うのだろうか?ではその次は?

すべての国が豊かになることなどあり得ないのだとそこで僕は気付く。なぜならば先進国がそれを望まないからだ。

先進国は賃金の安い、いつまでも贅沢をいわない底辺の国を永遠に必要とするのだから。

国際競争下にある経済発展とはババ抜きに他ならない。


昼時の近づいた工場を我々は後にする。

「Hの自宅で昼食をとります」とT氏が教えてくれた。

Hさんの自宅はダッカ市街のどまんなかにある立派なフラットだ。ダイニングで奥さんの作った手料理に舌鼓を打つ。

バングラデシュではゲストが食事をとっている間、主とその妻はテーブルの脇に立ったまま給仕をする。これが落ち着かず、早く片付けようと詰め込んでいると「どうぞ」とHさんが僕の皿へサラダを盛った。

遂にきたかと僕は瞑した。

最終日、すでに予定はすべて終わっている。あとは夜空港へ行って飛行機に乗るだけだから、そうなればもうトイレはいつでもすぐそこだ。

僕はサラダに手を着ける。

もちろんうまい。何の問題もない新鮮なサラダである。だがおそらくこの家庭の水道で洗われた野菜には、僕の胃腸にとってunacceptableな細菌が付着しているのだ。南無三。


これからダッカ市内の貧しい人々に服を寄付します。食事を終えるとAさんが教えてくれる。その後皆さんは買い物をなさってください。それから私の自宅で食事をご用意します。食事の後、空港へ向かいましょう。

ちょっと待てとT氏が遮る。俺たちはいまここで飯をくったばかりだぞ。もう腹がいっぱいだ。

じゃあお茶にしましょうか。Aさんが譲歩する。私の妻がお待ちしています。我が家の安寧のためにどうかいらっしゃって下さい。

「お茶だぞ」とT氏が念を押し、スケジュールは確定した。