新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

歩き続けた犬。

とにかく国の内外を飛び回ることに腐心した1年が暮れようとしている。

今年はハナから「犬も歩けば棒に当たる」とまさに小学生並みのモットーを抱き、東京 - (香港) - ベトナムを中心に、何度となく飛行機に乗り込み、浮かれ、無事着陸ということを何十回と繰り返した。


結果としては「それほど悪くなかった」。

日本は「終わり始めている」というよりは、東日本大震災をきっかけに噴出した無数の事どもをもって人々が「終わり始めていたことに気付いた」状態である。

ここにあっていよいよまったく新しい何かを「始めなければならない」と強く思い定めた私はとにかく動き続けることを自らに課した。


日本の背負う宿命的な制度疲労はバブルとその崩壊によって生まれたわけではなく、敗戦に端を発したわけでもない。はたまた徳川幕府の敷いた鎖国が影を落としているわけでもないというのが私の考えである。

四方を海に囲まれた小さな島国にあって、東南アジアに比べれば決して豊穣というわけでもない自然環境に適応した民族は、「一族」が食っていけるだけの土地を何よりも(ときには一族の誰かの命よりも)大事と崇め、その地理的なモビリティは著しく低く、もともとはゼロに等しい。

これがいまや制度・組織・権益など日々の生活に影響を及ぼすあらゆる環境の変化にあらがうメンタリティとして表出していることをもって、近現代の為政者を嗤ったり諸外国を憎んだり、ましてや身内の世代間闘争を煽ったりするのは、他に目的でもなければ避けるのがよい。


ところで国土と国民によって成立するといういささか循環論理的な定義をされたまま500年近くの時を耐えてきた「国民国家」の枠組みがいよいよ限界を迎えていると内田樹が自身のブログで指摘している。


ボーダーレスに人・モノ・資本・情報が激しく行き交うさまを人々はうれしげに言祝いでいるが、忘れてはならないのは、カール五世の場合がそうだったように、それらの交易で得られた富はもう国民国家の「国富」ではないということである。

グローバル企業は単一の国籍を持っていないし、経営者や株主たちも特定の国家への帰属意識を持っていない。だから企業の収益は原理的には「私物」である。

グローバル企業は特定の国の国民経済の健全な維持や、領域内での雇用の創出や、国庫への法人税の納税を「自分の義務だ」と考えない。そんなことに無駄な金を使っていては国際競争に勝ち残ることができないからだ。

国民国家グローバル資本主義について - 内田樹の研究室

http://blog.tatsuru.com/2012/12/19_1126.php


たまたま島国という物理的な境界に囲まれた日本人にとり「国民国家」という考え方は非常に肌感覚と合ったものであって居心地も良いものだった。

あるいは考えようによっては「国民国家」とは1648年にウェストファリアで発見されるより前にそれと知らず日本では採用されていた「国というもの」(鳩山由紀夫元首相はそれをよくわからないと云ったが)だったほどだ。


ところがいま、国民国家は蒸発しようとしている。

ユーゴスラビアで起こったような分裂や、ヨーロッパが長く夢見ているようなアウフヘーベンではなく、その内部を構成する「ヒト・モノ・カネ」といった元素が、制度でも組織でもなく自らこそが本質であると唱えて「国家」の殻を抜けだそうとしているのだ。

あとに残るのは、地図に残された架空の線でしかない空疎な国境だけになる。

実は日本人にとり、これは有史以前から続くなにものかを根本からひっくり返しかねない、まさに驚天動地の出来事である。

ヨーロッパは先に述べたとおり、国民国家以前の記憶を有しており、システマティックにこれに対応し、涼しい顔で国家の枠組みをお払い箱にしてしまう可能性がある。実に彼ららしいやり方だ。

他方力強く「生き残る」のはきっと、ユダヤ人や華僑など、すでに「国家」やときに言葉にすら頼ることなく記憶と歴史を保護し、伝え、自分たちを定義する術を備えた「民族」だろう。


これまで通りに日本人を定義できなくなっていくこれからの世界で、しかし僕は「日本人」を民族として生きながらえさせたいと勝手に思った。

そのために僕は、「その先」の世界はどんなところで、どんな術があり得て、そして何より僕の大切な「日本人」がそこで何に資することができるのかを知らなければならない。

意に反して毎年増えていく僕の大切な人たちがいずれ悩んだり迷ったりしたときに、僕たちの周りで知らずと変わっていた世界の新しいルールについて、僕なりの考えを語れるようになっていたいという、これが僕の純然たるエゴだ。


そこで僕は動き始めることにした。

いまから30年近く前、バブルのただなかで終末論が流行しているのを受けて、

「終末が週末と同じぐらいの感覚で語られるようになって初めて、我々はその先の未来を思い描けるようになるのかもしれない」

と記したコラムニストがいた。

「海外出張」という言葉が廃れ、「国際事業部」が解体され、「グローバル」が死語になったとき、僕たちはまったく新しい時代のなかに放り込まれている。

いち早くその時代をのぞき込み、みんなに伝えなければならない。

これが僕の勝手な思い込みであり、現在のところ最も重く感じている使命感だ。


大晦日を迎えるにあたり、新年の抱負を練ろうと思ったのだが、その前にはまず今年の抱負を振り返らなければならない。

そこでいくつかあった抱負のうちに「183日以上を日本でないどこかで過ごす」というのがあったことを思い出し、まず自らの意思と行動でもってどうやらこれを達した(正確には計算していない)ようだという一点のみを言祝いで、あとは酒でも飲んでその時を待とうと思う。