新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

乗るしかないのか、このビッグウェーブに。

本年36冊目の読書メモ。

1997年--世界を変えた金融危機」(竹森俊平/朝日新書Kindle)。

90年代の日本で起こったバブルの崩壊とそれに対応した金融政策、失われた10年の始まりについて学びたくてAmazonのページを繰ったところ出会った一冊だが、思いがけない掘り出し物。

あとがきにもあるが、出版されたのが2007年と今度はアメリカの住宅バブルがヨーロッパで金融危機を引き起こすまさにその年であるのがとてもよい。

ひとつには筆者が90年代、00年代に繰り返された危機と政府・日米金融当局の対応をたどり、「FRBが危機を乗り切り、ここまでは見事に景気の拡大を実現した」と評価する(これは筆者に限らず世界中が評価していた)、その好景気がまさに危機対策の結果として吹き飛ぶ5秒前に書かれているため、読者がこの本の論旨に照らし、2007年以降現在までに世界がたどった道筋を振り返って筆者の紹介するロジックを復習することができるからだ。

そして二番目には、そうすることで「どうやら歴史は繰り返しているのではないか」という直感をロジカルに裏付けることができそうで、これが読者の将来予測とその備えに力を与えてくれるからである。

金融危機と経済社会の歴史に触れるという意味では、16世紀の昔から50年後の世界まで巨視的に見通す「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫/集英社)とならび、読みやすいわりに手ごたえのある良書としてお薦めしておく。

 

 

本書では、筆者はお気に入りの変人フランク・ナイトをはじめ、エドワード・スノーデンに先駆けて政府の機密書類をリークしたことでカルト的なヒーローとなった経済学者エルズバーク、マネタリズムの立場からナイトの不確実性を舌鋒鋭く批判する同じシカゴ学派フリードマンといった面々の人間くさいエピソードを交えながら、「ナイトの不確実性」こそが97年以降の国際金融システムを読み解くうえで最も重要なカギであることを論証していく。

特にナイトが不確実性に直面して消極的にならないタイプの人間もいるとして「企業家タイプ」を挙げているあたりはベンチャースピリットのコモディティ化が進む日本に生きる我々として、ニヤリとせずにはいられない。

少し長いが本書のメインテーマを外れつつ、それでも経済学に重要なフィールドを示す一文として、以下を引用する。

なぜ不確実なベンチャービジネスに投資する人がいるのかといえば、そもそも不確実なビジネスからしか企業は利潤を求められないからだということを述べたくだりである。

しかし不確実性であるなら、なぜAOLや一般投資家は金を出したのか。彼らは夢を追ったのである。AOLは失敗に終わった。だが、成功する場合もある。だから夢を追う者が後を絶たない。

1921年の著書『リスク、不確実性および利潤』において、アメリカの経済学者で市場重視の思想で知られるシカゴ学派の生みの親ともいわれるフランク・ナイトは、不確実性の持つ経済的意義をはっきりさせた。

不確実性の世界に挑戦することで初めて、企業家は利潤が得られると彼は言う。タクシー会社を始めるといった客観的判断が可能な事業に利潤が見込める場合には、競争相手が続々参入するので、結局、利潤はなくなる(実際、規制緩和されてからタクシー会社は大変らしい)。だから、成功が不確かなために競争相手が少ない不確実な事業にしか、長期的には利潤は存在しないというわけだ。

しかし、不確実性への挑戦で、企業家は平均的には損をするだろうともナイトは言う。たしかに夢に賭ける不確実な職業、たとえばスポーツへの挑戦は割に合わない商売で、会社員になったほうが平均的な所得は多い。だが、イチローのように成功者は大成功する。だから夢を追う者が後を絶たず、おかげでわれわれは水準の高いスポーツを楽しめる。企業家も第二のビル・ゲイツといった夢を追う者だとすれば、そもそも企業活動が成り立つのは夢のおかげということになる。

つまり不確実性を前に、積極的になる一部の「企業家タイプ」により社会に利潤がもたらされ、経済社会は発展する。だが企業家タイプは全体として考えるとベンチャービジネスには失敗する確率の方が高い。それでも企業家が食っていけるのは、彼らがベンチャービジネスにすべてを投じているわけではなく、伝統的な事業にも携わっており、それにより生活しているからだという看破には、まさに声を出してワロタ。

 

さて、慶應義塾大学の教授(当時、いまは知らない)であった筆者ならではというべきか、平易な言葉遣いのみならずその章立てと論理の構成が秀逸で、読者の知的好奇心をかきたてながら次のセクション、次のセクションへと導いていくドライブが大変魅力的なのだが、あえて本書の論旨を大きくステップ分けすると以下の通りとなる。

 

  • バブル崩壊の萌芽であった住専処理において日本政府の対応は政治的制約を生み、これが1997年秋にあいつぐ大手金融機関の公的資金による救済を阻んだ。失われた十年のはじまりである。

  • このように東アジアに先んじて国内的な金融危機状態に直面していた日本の大手行は、1997年、タイの通貨危機に際していち早く資金を引き揚げるという拙速な対応で危機を拡大、東アジアへ飛び火させる一因を担った。

  • これに加えて悪名高いIMF構造改革プログラムは危機を和らげるばかりか、投資家心理を一層萎縮させる逆効果を生み、失敗だったという評価が現在は定着しつつある。

  • そもそも金融危機は「返済能力(ソルベンシー)の問題」と「流動性(リキディティー)の問題」に分けることができる。

  •  IMF資金援助として強制した「コンディショナリティー」=構造改革プログラムは主に「返済能力の問題」を解決するためのものであり、本質的には「流動性の問題」だった通貨危機においては信用の収縮を通じて逆効果を生んだと考えられる。

  • この信用の収縮という現象は、シカゴ学派の経済学者フランク・ナイトが唱えた「ナイトの不確実性」が予言したものであり、この不確実性の問題は1997年に端を発した東アジア金融危機とそれに対する各国政府・IMFの対応以降、世界経済を考えるうえで極めて重要なテーマとなっている。特に「ナイトの不確実性」からエルスバークが導いた、人間は「不確実性に直面した場合、統計学者の考える『合理的な判断』よりも悲観的な予測を立てる傾向がある」というセオリーは東アジア金融危機において具現化したものといえる。

  • 従って、19世紀の早きにイギリスの経済学者ウォルター・バジョットが提唱した「バジョット・ルール」すなわち「『取り付け騒ぎ』のような流動性危機が発生した場合、現金を求めてイングランド銀行を頼ってくる金融機関に対して、イングランド銀行が、「充分な担保さえあれば、通常より大幅に高めの貸出金利をつけて、相手が望むだけ思いきって貸し出す」こそが、本来とるべき対応の指針としては正しかったといえる。 

  • 「ナイトの不確実性」や「バジョット・ルール」に言及して緩和的な政策を進め、21世紀初頭のアメリカ(と世界経済)を危機からいち早く救い出し、2007年まで続く景気拡大を演出したアラン・グリーンスパンFRB議長はこうした意味で正しかった。 
  • だが97年 - 98年のIMFによる構造改革プログラムで国家的な屈辱を経験した東アジア各国は「二度と繰り返すな」をモットーに過大な外貨準備を引き当てるようになっており、米国の景気が拡大する局面ではこれが大きな資本の流れとなって米国の金融市場を膨らませ、グリーンスパンがタクトをとる緩和政策とあいまってバブルを形成しているという疑いが(本書執筆段階で)ある。

  • フランク・ナイトはもともと彼の主張する「不確実性」に対して、人間は消極的になるだけでなく、積極的になることもありうると説いている。2000年代のアメリカにおいてはジョージ・ブッシュという不確実性に対して積極性で挑む「企業家タイプ」の指導者が大統領の地位におり、彼の政治的判断が株式バブルよりも深刻な住宅バブルを生むことになったと考えることもできる。

  • FRBによる思い切った緩和政策、東アジア各国から流入する資本、大統領による景気刺激策といったそれぞれの最善策が合成された結果、アラン・グリーンスパンは連銀議長退任後の2006年、「サブプライムの問題から米国危機が減速する危険が3分の1に高まったと発言した」。

  • サブプライムの問題が米国危機が減速するとすれば(2014年現在、これはまさに破壊的な規模で実現したということができる)、2000年代の景気回復はやはりバブルによって招来されたといわねばならないが、しかしバブルは事後的にしかバブルだと認知できず、事前や発生途上にこれを指摘することは不可能ではないか。バブルの問題はむしろその崩壊後、いかに迅速に正しい対応をとるかということにつきるのかもしれない。

1997年の東アジア通貨危機と98年のロシア危機、2007年のサブプライムローン問題と翌年のリーマンショックのあいだにはちょうど10年のインターバルがあり、ここに丸々ひとつのバブルがあった。

バーナンキ議長のもと、ふたたび大規模な金融緩和によってリーマンショック後の景気後退を切り抜けようとしたFRBはいま、歴史的な株高と債券高を目の前にしている。

これが果たしてバブルなのか否か、世界はまたもバブル処理から生じたバブルの崩壊を経験することになるのか。

最後にグリーンスパンのこの言葉を引用して本稿を締める。

 

「バブルというのは不可避だというのが私の結論です。人間はそれを回避することができないのです。失敗から学ぶこともないでしょう」

「1997年--世界を変えた金融危機」 

 

 

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)