新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

嘘と、沈黙。

あなたのなかでNetflixをめぐる熱狂はもう落ち着いただろうか。

米Netflixでは、完全に滑ったシーズン3の後を追う“House of Cards” シーズン4が公開中だ。世は実際に米大統領予備選のクライマックスだから、まことショービズのお上手なことと舌を巻くほかないが、ドラマの方はちょっと観たところあまり期待できそうもない。

物語が始まったときには副大統領ですらなかったのに、一度の選挙も経ずついに大統領の座に就いた権力マニアのフランク・アンダーウッド(ケビン・スペイシー)は、彼を憲法の敵と看破した検察官ヘザー・ダンバーの立候補により劇中「2016年の選挙戦」では目下追い詰められている(エピソード1)。

 

権力を手に入れるためには文字通り手段を選ばないフランク・アンダーウッド(ここまですでに2名を自らの手にかけ、殺害している)が、あらゆる障害を実力で取り除いてのしあがる姿はファンを虜にしたが、理念なくして権力を手にしたがため、大統領に就任してのちの彼は迷走する。

民主主義の総本山を自認する米国がたったひとりの圧倒的な悪の手中に転がり落ちていく様を固唾を吞んで見守っていた視聴者は、悪が悪ゆえに自壊するというきわめて21世紀的な展開に興ざめしたとみるべきだろう。

そしてもうひとつ、シーズン4を仕込んだ製作者の目論見を突き崩したのは、フランク以上に異形の政治的怪物が実際の大統領本選に進出しようという現今の状況、すなわちドナルド・J・トランプという現象にほかならない。

 

CNNは報道チャンネルの面目躍如とばかりに日がな一日(アンソニー・ボーデンの“Parts Unknown”をやってるとき以外は)大統領予備選の報道をつないでいる。

アメリカとアメリカを取り巻く世界にあふれる“issues”(政治テーマ)が論じられるべきまさにそのとき、警官によるアフロアメリカンの殺害も、ニューエコノミーだと思われていたシェール産業のつまづきも、1%による富の独占も、すべてがテレビからは押し流されて、そこにただ権力をめぐる争いだけが映し出されているというのはブラックジョークとしてもあまりに過ぎる。

要するに、フランク・アンダーウッドはいまにもこの国に生まれうるという危機感こそがアメリカの視聴者を“House of Cards”へ釘付けにしたのだとすれば、まっすぐその延長線上に、トランプは現れたわけだ。ドラマでも許されなかった、ほとんど無限にもおもえる巨万の富を携えて。

 

当初出馬は売名行為にも劣るジョークだと思われたトランプが、やがてジョーカーとみなされ、いまや議会共和党の重鎮(「エスタブリッシュメント」)までをも震え上がらせる快進撃を続けている理由については日本でも多くのひとびとが解説を試みているので、ここで僕ごときがいびつな私見をご披露するのにためらう理由はない。

 

ドナルド・トランプの台頭を説明する背景は、僕にいわせればひとつしかない。

2009年に議会共和党がオバマ政権つぶしに利用したティーパーティーを、あっさりと見放したことだ。

党からハシゴをはずされた若手議員たちは国民の支持を失い、この8年間にオバマ - ヒラリーに対抗できるだけの政治資本を蓄えることができなかった。共和党支持者がそれを一番わかっている。だから彼らは、どうせ勝てない本戦でヒラリーにぶつける候補は誰でも同じだと思っているのだ。さらに8年のあいだ民主党に政権を譲るならば、せめて自分たちの鬱憤をより派手なかたちでぶちまけてくれる人物にマイクを握らせればいい。

これが共和党支持者のセンチメントだ。

 

何が起きたかについての説明を試みる。

オバマ政権がスタートしたのは、リーマン・ブラザーズが史上最高額の負債とともにこの世からバシュッと退場したわずか4ヶ月後のことであった。そこから先は転落する景気を下支えするために拡大する一方の政府支出や、CDSという腐れた泥をのみこんだAIGの救済、さらにそのうえ皆保険制度・オバマケアの導入など、ほとんどすべての政策テーマが金融、経済そして財政規律に集中していくことになる。

ここにおいて厚顔な議会共和党は、80年代以降の証券バブルを膨らませたのには自分たちに少なくとも半分の責任があるにもかかわらず、景気対策の手を縛ることでオバマ政権に対する政治的圧力を強めようとした。

 

バラク・オバマが政権を引き継ぐまでに米大統領を二期務めたジョージ・W・ブッシュは強硬なキリスト教保守派層を動員して、9.11テロ後の政権運営に利用したが、政権を失った共和党が2009年からこれに代わって利用したのが「ティーパーティー」と呼ばれる党内勢力であった。

ティーパーティー」のPartyは、文字通り「パーティー」と「政党」の意味を兼ねたネーミングで、前者は世界史中のエポックであるボストン茶会(tea party)事件を引いている。植民地だったアメリカが、イギリスからの課税にブチ切れて紅茶をボストン湾にアボーンして独立戦争が始まったという、あのエピソードだ。

つまりティーパーティーとは、政府による課税の強化、すなわち政府支出の拡大(「大きな政府」)に反対する極端な保守勢力だ。政府はなるべく国民の生活に介入せず、経済社会は市場の手に委ねるべしというのがその、ほとんど唯一の政治的信条である。

 

共和党指導部にあおられたティーパーティーの議員たちは、政府による金融機関の救済や財政支出の拡大は増税を通じて国民の自由を奪うという子どもにもわかる理屈を旗印に、オバマ政権を締め上げた。法で定められた予算上限というロープ際に追い詰められたオバマ政権は、世界恐慌の際にありながら政府部門の一部閉鎖(シャットダウン)という憂き目をみるに至り、アメリカのみならず、世界経済は黙示録的な破綻の縁に立たされることになる。

このときアメリカ全土では恐ろしいペースで自己破産者が生まれていた。要するに彼らはローンで住宅を手に入れた人たちだから、破産は即ち住処を失うことを意味する。さりとて景気のどん底にあるアメリカのどこを探しても職などは見当たらず、世界の富の半分を有するこの国で、政府支出がそのまま人の生き死ににかかわる事態にあった。

そんなときにアラスカ州知事のサラ・ペイリンなんかが甲高い声で「自己責任がこの国の原則だ」と叫んでいた。金融機関など潰してしまえ、増税は許さない、財政規律を守れ、我々こそは独立以来のイズムを守るティーパーティーだと。

 

我々が神に感謝すべきことがひとつあるとすれば、それがどんな神であれ、アメリカ人にスプーン一杯の良識をお与えになるのを忘れなかったことだ。しかもアメリカのスプーンは(ティースプーンだが)やや大ぶりだから、幸いなことにこのとき、これが利いた。

ある種、ひとつの敗戦に匹敵するダメージを受けたアメリカは経済的な焦土と化した。そんなとき、ワシントンD.C.では共和党の強硬派が気弱な新米大統領をしめあげるパワーゲームをやっている。自分たちは未曾有の危機のなかで、新しい大統領を選んだばかりなのだ。ヤツに仕事をさせろ、話はそれからだとアメリカ国民が気づいたわけだ。

 

あまりにも非妥協的で政治プロセスを破壊した議会内ティーパーティーに手を焼きつつあった共和党のエスタブリッシュメントは、こうした世論の変化を感じ、手のひらを返したようにティーパーティーを切り捨てた。「あのガキどもは、やりすぎた」というわけだ。かくて政府を攻め立てる急先鋒だった若手の議員たちは、気がつけばしんがりにいて、国民の罵声を一身に浴びるはめになった。

こうして彼らとティーパーティーのムーブメントは時宜をわきまえない迷惑な存在として世間の関心の外へ追いやられ、わずかにオバマケアや移民問題といった各論において存在感を示すことができるにとどまることになる。

 

ビル・クリントン以来、アメリカのリーダーシップには若返りの風が吹いていた。

オバマの8年」を経て、我こそは共和党の、そしてアメリカのニューリーダーだと勢いづいていたのが、いまトランプの両脇に立つ2名のキッズであり、とうにステージから去ったランド・ポールだ。

だがこのようなダイナミズムのなかで、彼らの政治センスは共和党支持者からでさえ強い疑いの目を向けられるようになり、民主党からヒラリー・クリントンが立つことが明らかになる頃には、共和党支持者は民主党の「さらなる8年」を自明のものと受け入れつつあったというのが僕の考えだ。

彼らはいわば、政権選択の機会を奪った議会共和党の拙劣な党運営と人材不足に憎悪を燃やし、誰かがせめて本戦で一暴れしてくれることを願っていた。これがトランプのアンチ・エスタブリッシュメント路線と軌を一にしたというわけだ。

 

息も絶え絶えにリーマンショック後の混乱を乗り越えてきた世界経済は、いままさに、最後の後始末という段階にかかっている。オバマ政権下で始まった中央銀行による大規模な金融緩和の潮流は先進国すべてにおよび、そのバランスシートはパンパンに膨れあがっている。人類はこれから、この空気を少しずつ、少しずつ抜いていかなければならない。あれから7年かかってやっと、我々は来た道を戻り始めたところなのだ。

冷戦終結後、規制緩和とテクノロジーの発展を両輪として拡大した世界経済のなかで、最大の受益者たるアメリカが果たすべき責任について共和党はまだ理解できていないというのがアメリカ国民が共有している認識だと僕はみている。世界でも例外的にプレッシャーと不安感に弱い国民性が、それを支えている。

だから、「こいつはいつ云うんだろうか」とみなさんがお考えの答えを云えば、いまはドナルド・トランプのようなアマチュアが、この国の舵を握るときではないと、多くのアメリカ国民はすでに心を決めている。共和党候補には勝てない大統領選だからこそ、トランプは指名を受けようとしているに過ぎない。

ドナルド・トランプが米大統領の座に就く確率は、正確にゼロだ。

このゲームはジョーカーではあがれない。

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今日僕は、本当はこの動画について物を云いたかったのだが、いつものように大事なことは云えずに終わることになる。

CNNで流れはじめた反トランプキャンペーンのCMでは、いままでにトランプが公然と口にしてきた女性蔑視の発言を、女性たちが読み上げる。

「これがわたしたちの母親に、わたしたちに、わたしたちの娘について、ドナルド・トランプが云ってきたことです」

このCMがCNNで流れること、すなわち報道チャンネルが政治資金を受け取っていることと、日本でとやかくされている「報道の公平性」について、ここでは論じるつもりだったのだが、どうやらそれはかなわない。

小論文の下手なやつは、いつも大切なことを書き残したまま試験終了のベルを聞く。

世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)