新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

ロスト・イン・トランスポーテーション。この街がまだデジタルだった頃。

f:id:boiled-pasta:20160319081315p:plain

英会話教室と銘打った、非道な割賦ビジネス。

あるときグループレッスンで、英語がうまいだけのアメリカ人講師が「あなたはこの夏休み、何をしていましたか?」と尋ねたところ、OL風の若い女性が答えたという。

“I was tripping in London.”(私はロンドンでキマりまくってました)

ここで講師は爆笑したというから赦せぬ。

まぁこうやって聞けば笑えるけどノン・ネイティブはやりがちな失敗だし、しかもこれぐらいのレベルの間違いはノン・ネイティブ同士だと意味だけ伝わる英会話として問題なかったりするから、その町場の英会話教室にくる初級レベルの学習者のことをそんな風に笑うのは、生まれたときから英語をしゃべってきただけの講師の無配慮というものだ。

だけど、アメリカ人っていうのは、そもそもそういうところがある。

英語が話せないとみると「やれやれ何しにアメリカきたの?」っていう態度になるようなところが。

これは世界中から集まった移民の国だからという社会背景があるんで、溶け込みたいと願うならやはり郷に入れば郷に従えということで、そこそこ話せるようになるしかない。

服装よりもこっちの方が大事なのがアメリカだと思う。

逆にヨーロッパだとみんな英語が下手だから割合しっかり聞いてはくれるけど、我々アジアンは多少身なりの方に気をつけると入り口有利に入れるかなと、なんとなく感じている。

*     *     *     *     *

ベトナム語は話せるのか、と年に50回ぐらい訊かれる。

「じゃあ、ベトナム語しゃべれるんですか?」って。「ベトナムで仕事してるんですよ」「じゃあ、ベトナム語しゃべれるんですか?」って。「じゃあ、」って。

たぶんみんな訊かれているのだろう。

「数字と、あとは名の知れた通りの名前がなんとか通じます。タクシーでは」僕の場合はこれだけを5年ぐらいずっと答え続けてる。

こう聞かされた相手の顔に浮かぶ深い失望の色。

それはつまり単に話の糸口を失ったことにとどまらず、目の前でいま「ベトナムで仕事をしている」と云いきった男が一気にうさんくさい存在にかわったことを告げており、僕はこれを見るのがいろんな意味でとてもつらい。

だからそのあと、ベトナム語がいかに学習困難な言語かというポジショントークで相手を楽しませるのがうまくなった。実際のところは5年かけて身につかないような言語なんかあるわけないのであって、これは完全に私が怠惰であるだけです。

ちなみに弊社にいる四年制大学卒業者ども、僕をふくめて英語からカラッきしダメで、第二外国語に至っては「ドイツ語」「インドネシア語」「フランス語」などなど何の役にも立たないばかりか、全員が綺麗に全部忘れてしまっている始末だ。

僕はドイツ語で“Hier, kommt ein politzman.”(ほら、警察官がきます)しか云うことができない。

しかもこれは大学に入るもっと前に、叔父から教えてもらったフレーズだ。

*     *     *     *     *

ホーチミンシティに出入りしはじめた頃というのはタクシーに乗るのも非常にデジタル的というか、乗ったところと行きたいところしか分からないので精神的な負担はかなり大きかった。

当時はまだいまよりもだいぶタクシー事情が悪くて、街中で何の気なしに拾うと運転席の背中に日本語で

「ボッタクリタクシー!!」

とダイイングメッセージがあったりした。

「ターボメーター」って云うひとはいまもいるのだろうか。「あ、そこそこ、そこ止めてくれ。OK、OK」って云ってると、なんかカチカチカチ...っていう音がして急に5段階ぐらい料金があがるやつ、最近はみなくなったように思う。

そもそも値頃感が分からなかったのもあり、サンキュー、サンキューっつって、さらにチップをはずんだりもしていた。悲しい。

 

しかし行き先を告げるにせよ揉めるにせよ、結局こちらに言葉ができないのが何よりも問題なんであって、「あ、やべぇな、こいつ場所間違えてるな」と思ってもなんと云っていいか分からないし、(遠回りされている・・・)と気付いても、いまどこにいるのか分からず、果たして途中で降りて他のタクシーが捕まるかどうかも定かでないので憤懣やるかたなし。ぶすッとして勘定を済ませる以外になかった。

 

そんな、まだホーチミンシティにアパートを借りてから1年も経たないころ、少し離れたところで知人の夫妻と食事をしたあと、通りかかったタクシーを拾った。

“Saigon Pearl.”(サイゴンベァー)

どや顔のベトナム語なまりでアパートの名前を告げるが、ドライバーが返事をしない。

ちらちらとルームミラーでこちらの顔をうかがっているが、どうやら困っているようだ。

(出たな・・・)と思って通りの名と番地をベトナム語で告げたが、ドライバーはまだゴニョゴニョ云って頭の周りで手を振り回している。

これは久しぶりに手強いやつに当たったぞと思ったが、それでもクルマはもう通りへ出てしまっていた。

「おい、わかんないのか、グエン、フー、カンだよ。グエン、フー、カン、ビンタン!」

簡単な英語で(僕は簡単な英語しか話せない)含めるように繰り返しているうちにもドライバーは適当にハンドルを切ってクルマの流れに合流していく。

ベトナム語ができないのだから、英語が通じない(往々にして通じない)ドライバーなら、もうお手上げだ。

まだ店からさして離れないうちに降りちまおうと、道の脇を指さして「ストップ、ストップ」と云ったとき、ドライバーが汚い紙片とペンを突きだして云った。

 

「ビッテ、シュライベン」(どうか、書いてください)

「ダ、ダス・イスト・ドイチュ!」(ド、ドイツ語じゃねぇか!)

 

「ヤー、ヤー」

思いがけず僕から飛び出したドイツ語のフレーズに相好を崩して、ドライバーは僕の差し出した住所を受け取った。

「なるほど、これ住所ね。やっぱわかんねぇわ」

(ここからはドイツ語混じりなので、だいたい想像した内容でお届けします)

「お、おうそうか。じゃあI tell you the way. I tell you. レヒト、レヒト(右、右)」

「おうrechtsか、あんちゃんドイツ語できんのか」

「ナイン、カイン・ドイチュ」(いや、全然)

「ここrechtsか」

「ニヒト・レヒト、ニヒト・レヒト!」(レヒトじゃない、レヒトじゃない!)

「じゃlinksか」

「リンクス、リンクス」

だいぶん危ない道行きだったがどうにかタクシーがまともに走り出した頃、ドライバーが自分語りを始めた。

 

俺はドイツ生まれのベトナム人で、最近こっちへやってきたんだ。

ドイツではいろんなところにいたよ。

ハンブルグデュッセルドルフ、フランクフルトにもいた。なんせ向こうで大人になったんだからな。

だからドイツ語はペラッペラ。だけど英語もベトナム語もご覧の通り、まるでできないのさ。

 

だったらタクシー無理なのでは。

伝えられなかった。僕と彼の間には、共通の言語がなかったからだ。

ドイツ語はマイナー言語というわけではないが、決して誰にでも心得のあるものでもない。

今夜、僕の次に客を送り届けることができるのはいつだろう。それまでに、何人に(もちろんベトナム人にも)怒鳴られ、料金を踏み倒されるのだろうか。

 

丁寧に、丁寧にドライバーはクルマをアパートの車寄せへ着けた。

「ダンケ」と僕が紙幣を差し出すと、ドライバーは身体をこちらに向けて「ダンケ・シェーン、ダンケ・シェーン」と繰り返した。

「アウフ・ヴィーダーゼーン」

ビナサン・タクシーのマネージャーめ、社員がこんなやつにクルマを貸してると知ったらひっくり返るだろうな。

アパートの敷地を出て行くタクシーを見送りながら、なんだか僕は感心していた。

大学を卒業して15年が経ったが、ほかにドイツ語が役に立った覚えはない。

ドイツで仕事したこともあるのに、だ。

 

後日、ドイツで過ごしたこともある友人にこの話をしたら、彼の感想は、

「ドイツで生まれ育ってまでして、ベトナムでタクシードライバーですか。厳しい人生ですね」

であった。

ああ。

ナイト・オン・ザ・プラネット [DVD]

ナイト・オン・ザ・プラネット [DVD]