新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

ケニーと俺と、ときどきオンナ。

今年もケニーの誕生日が過ぎた。

でもこの1月に、ケニーはもう歳をとることをやめた。

 

むかしは「友達」といえば、毎日顔を突き合わせている仲間のことだった。

どんなに仲のいいヤツだって、親の都合で引っ越していけば次の日からは連絡もとらないし、二度と会うこともない。

大人になってくると様子は少しちがう。

「じゃあ、また」と別れたあと、3年会わなかった友達や、学生時代以来20年も絶えて会うことのなかった友人と突然会うことがある。

そんなとき、再会した僕たちの関係は再開するというのではなく、会わなかったあいだもずっと途切れずそこにあったのに気付くだけだということが多い。

初めて会ったひととの間にある遠慮や、何かを修復しなければならないという真面目さはそこに、ない。

大げさな喜びも、かしこまった謝罪もない。

会って話し始めると、時間はまるで昨日の続きみたいに流れていく。

僕たちはそれぞれに長い放射状の道を外へ外へと歩いて行くのだから、やがて3年が5年になり、20年はもしかしたら50年になり、それからいつか永遠になる。

だけど、永遠が過ぎたあとだって僕たちはいつもと同じように言葉を交わし、「じゃあ、また」と云って別れるだけだと分かっているから、僕たちはもう永遠を怖れることも、ない。

要するに、わしらは毎日生まれて毎日死によるんよ。明日生まれんのが死ぬていうことやろ。

「永遠のとなり」(白石一文

今日生まれたばかりの僕たちに「久しぶり」はない。そういうことなのかもしれない。

 

今日のまえに一度だけ、ケニーについての文章を書いたことがある。本人は知らない。

ケニーとは、日々顔をあわせなくなってもう何年にもなる。

ある人の結婚式で一緒になったから「いくつになった?」と訊いたら、47歳だと云った。

「じゃ、ケニー、もう50じゃねぇか」

「そうだよ・・・でも俺は今日は久しぶりにうでちゃんの毒舌を聞くのを楽しみにきたんだよ。

 俺にちょっと、いつもの毒舌をぶつけてくれよ!」

「いやぁ・・・」

ぶつけようと思ったけど、もうすぐ50歳になるなんて聞いたら可哀相で何も云えなくなっちゃったよ・・・と云ったら、ケニーは、ちょっと本気で怒った。

僕とケニーは10歳離れていたが、ケニーはいつも、ちょっと本気で怒り、次の日にはそれをギャグにして笑っていた。

 

ケニーが何年も尻を追いかけてた女性と行きつけのバーで飲んでいるのに出くわしたことがある。

「うでちゃん、俺はお前とちがって何もねぇけどよ、こいつに対する愛だけは誰にも負けねぇんだよ」

ケニーと彼女との間にはいくつも恥ずかしい過去があることを僕は知っていたが、ケニーはその日もせいいっぱいカッコを付けていた。

「何もねぇやつの愛が何になるってんだよ」彼女を挟んだカウンターのこちら側から僕はぶつけていった。

あとで聞けば「その夜に勝負をかけていた」というケニーは引かなかった。

「愛の強さ、お前知らねぇのかよ」

「知らねぇよ、ケニー。

 ラスコーリニコフがこう云ってんだよ。

 『自由と力、大切なのは力だ!』(「罪と罰」のセリフだ)

 力のねぇやつの愛なんか、引出物の皿みたいなもんで役にたたねぇんだよ。

 愛があって、てめぇ、その愛をなにで守るんだよ。

 力だよ、力!

 力がなきゃはじまんねぇんだよ!」

僕の言葉に、てめぇよぉ・・・と気色ばんだケニーが立ち上がりかけたとき、まんなかにいた彼女が「なんかわかる・・・」とつぶやいた。

「えっ」と間抜けな声を出してケニーが椅子に腰を落とした。

彼女はもういちど、

「あたし、なんか、うでさんの云うこと分かる気がする」と云った。

あれ、と云ってケニーがフォアローゼスに口を付けるあいだ、「そうだよね・・・」と彼女は自分のグラスをのぞきこみながら何度もうなづいていた。

 

ケニーが勝負をかけていた夜はこうして終わった。

俺にもうチャンスはまわってこない。何年にもわたった俺の歴史的大恋愛を終わらせたのは、まさかのお前だよと、次の日ケニーは笑いながら教えてくれた。

ケニーには何の恨みもなかったが、ざまぁみやがれと云って僕も腹を抱えて笑ってやった。会社の非常階段で煙草を吸いながら。

僕たちは、そんな調子だった。

真面目な話をしたこともあるが、真面目な話のまま終わったためしはついぞなかった。

いつも最後はバカ笑いで終わったものだから、僕が覚えているのはみんな、ケニーのそのバカ笑いだ。

 

ロックンロールは音楽ではなく、ライフスタイルであり人生観だ。

あとさきのことを考えるなんてくだらねぇ、気に入らねぇものが気に入らねぇの何がわるいと云って生きてきた「ロックンローラー」が、子どもができたからと頭を丸めて気に入らない上司に頭をさげ、仕事に精を出すのはひととして誠に立派なことだが、それはロックではない。

その時点で、彼は「元ロックンローラー」ですらない。彼の人生は結局、ロックではない何かだったのだ。彼はロックに対してすら責任を負えず、代わりにほかの責任を負ったというわけだ。

僕は人間、その方が幸せなことも多々あると思うが、それがロックでないという確信は揺るがない。

 

その点では、ケニーはロックンローラーだった。

優しすぎて人を傷つけられないケニーは、それを弱さだと認めることを拒み続けた。

誰を守ることもできない、その優しさを力だと信じ続け、そんな自分だけを愛して生きることを選び、誰にも迷惑をかけずに死んだ。

いまも僕の手元にある、ケニーがくれたたった一枚のアルバムに収録されたナンバーの半分は、「愛の」か「恋は」で始まっている。

さよならをいうのは、わずかなあいだ、死ぬことだ。

「長いお別れ」(レイモンド・チャンドラー

 このあいだ最後に会ったとき、ケニーと僕がなんと云って別れたものか、僕は覚えていない。

でも多分、ケニーはいつものように、ゴルチエのバッグをひっかけた細い肩越しに片手を挙げて、「じゃあ、また」と云ったはずだと思う。

人間の死亡率は100%だ。

イラク戦争に派遣された米兵の死亡率が2.7%だというから、僕たちはよほど危険な運命にさらされて生きている。

そんな毎日には誠にふさわしい、それがいつものケニーの別れ方だった。

僕たちには初めから、次も久しぶりもない。

「じゃあ、また」と云って別れたとき、「また」がいつなのか、僕たちは知らない。

1年後のこともあれば20年後のこともあった。

いままたそれが永遠の終わりまでの長いお別れになったところで、きっと僕たちにとってたいしたことではないのだと思う。

ロックンロール。