新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

「統合失調症の石田(仮名)」について。

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僕は健常者も障がい者も、法定の話を離れれば、部分的に相対的な存在でしかないと考えているが、だからといってもちろん僕が自分のことを「どっちかといえば障がい者みたいなもんだ」などということは許されない。
相対的にいって、充分に恵まれた心身の状態を維持しているからだ。
僕の抱える問題があったとしても、それは一般に「性格」の問題でしかない。
だけどそれでも、僕がその性格の問題を乗り越えて(あるいは回避して)人並みに生きてこられたのは、やはり多くの幸運な出会いがあったからだと感謝しない日はない。
これは本当だ。
 
それは、多くの人が暮らす社会のなかではいつまでたっても「幸運」でしかないのかもしれない。
であればせめて、より多くの人が幸運にめぐりあわせるよう祈り、その一助となる以外に、僕が自分のここまでの人生を肯定する術はないというのが正直な思いだ。
 
だがそのためにも無理はできないし、してはいけないのだろう。
だからこそ、無理をしなくていいぐらい、自分の能う限り強くなる必要があるというのが、ひとつの指針にはなっている。
 
二十代の終わり頃から、「四十歳になったら働き方を変えたい」と思いながら仕事をしてきた。
企業を経営する目的と、自分の人生を肯定していたいという思いをひとつにできるような、そういう仕事がしたい。
たまたまつかんだ儲かる仕事を正当化するために社是や理想を掲げるような生き方は、そもそも僕とは無縁だ。
だから、いま僕が経営する会社には社是も理想もない。
それは僕が生きていくためにやっている仕事であって、その仕事のために生きているのではないという証明でもある。
 
そもそも会社なんか、人の生き死にには本質的な関わりがない。
「カネさえあれば誰も会社員なんかやらない」という言葉に頷けるとすれば、それが証拠だ。
だから歴史的な役目を終え、社会的に不要になれば、会社なんか必死になって救済する必要などないというのが僕の立場だ。
ただ、もし本当に救済されるべき、生き残るべき会社があるのだとすれば、大切なのはきっと会社そのものではなく、その会社が存続すべき「目的」の方なのだろう。
そういったホンモノの「目的」を、僕が仕事をすべき本当の理由を、見付けなければならない時まであと一年と三ヶ月。
もっともっと、いろんな人に出会って少しの時間をいただきたいです。
 
統合失調症の石田(仮名)」は少し前に書かれたエントリですが、匿名ブログであるにもかかわらず「石田(仮名)」とした投稿者の思いを汲むつもりで、石田さんの幸せを祈ります。